今回は義務教育の目的について考えていきます。あまり考えたことがないかもしれないことかもしれないですが考えていただけるきっかけになっていただければと思います。義務教育では教わることのない義務教育の目的についてです。
僕が感じていた義務教育のつまらなさについて。
僕は義務教育で全く自分が興味がないことを暗記することやよくわからない教科書の内容を学ぶことが非常につまらないと感じていました。今ではYOUTUBEとかさせていただいているので自分が興味があることを調べていろいろ考えることがいいなと感じますが子供の頃はそのようなことが全くなかったです。全く勉強もしていなかったし落ちこぼれで教師にいろいろ文句言われていました。今の僕は教育の目的は
●自由に考える
●自分が疑問と感じることを問いかけること
●自分なりにいろいろ追求すること
だと思います。正しいかどうかわかりませんが。少なくとも義務教育にこのような要素がありません。
少し前に気になって義務教育について調べてみました。
義務教育の目的について。
義務教育の目的ということで調べていたら有益な情報がありました。
学校はローマカトリック教会の洗脳機関として知的特権階級をつくることが起源。そしてプロテスタントが学校を大衆に広げ、国家が大衆を洗脳し服従させる訓練機関として義務教育にする。
このことがドイツで始まったようです。日本の義務教育にもこの要素が含まれているのではないか?ということが考えられます。
国家が大衆を服従させるという部分が驚きですが理解できる内容です。僕たちは学校というと何か子供のためのものであると解釈しますがそうではない可能性が非常に高いということです。子供のためではなく国家が服従させるためにつくった訓練であるということです。
一回国家が運営する義務教育制度を作ってしまえばそこからは画一的に行えるということです。教師の役割は決まったことを生徒にやらせるというだけのことです。そして義務教育で学年が上がるにつれて学校だけではなく家庭でもこの服従が行われるようになっていくということです。家で宿題をやりなさいとかということだと思います。
くだらないことだなと僕は思いました。非常にくだらないと感じることですがこの先にはいったい何が待っているのか?ということについてここから触れていきます。
義務教育の先に何があるのか?
この世界には少数の支配層がいます。この支配層はどのような人間を求めているのか?というと従順な市民ということです。世界中で貧困や飢餓となっても市民は従順でいてほしいと願います。もっといえばそれぞれの国で指導者が何かおかしいことをしたとしても従順でいてもらいたい。いちいち細かいことを指摘することを望まないということです。
全ては世界の支配者の目的である可能性が考えられます。
義務教育の背景には支配層の存在があったということだと僕は思いました。
支配層ときいて笑う人がいますがそのような人はきっとこのことを考えたこともないでしょうし、もし考えても分かることはないと思います。
僕はこのようなことがよくないと思うので支配構造からなるべく離れます。
そして僕の声が届く限りですが何かしらお役に立てればいいなと思います。
ということで今回の記事はここで終わりです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。