今回は人生について考えていきます。哲学者・セネカという人の言葉を引用しながら考えていきますので最後までご覧いただければと思います。
自分の人生について今回考えてみましょう!人生は長いようで実は短いのか?!
何かしらのお役に立てることや
気付きになっていただければと思います。
よく人生は長いようで短いとか
実は短いようで長いといったことが
話題となります。
どっちなんだと思うかもしれませんが
哲学者・セネカの名言の中からそのことを考えていきます。
人生は短いのではなく、浪費している
だから嘆かず、今日が人生の最後の日だと思って、やるべきことをやれ。そうすれば人生を長く送ることができるだろう。
また明日も来るだろうなと
思って過ごしていますが
そうではない可能性があります。
毎日精一過ごすというメッセージなのでは
ないか?と解釈できます。
老後についての考え方について。
僕たちが考えていることの中に
今は大変だけど老後楽しく過ごせればいいといった考えがあります。
僕もこのような考えを持っています。
しかし老後が来ないかもしれないということを
哲学者・セネカはいっております。
われわれが短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから、
ごく僅かな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされたとたんに人生に見放されてしまう、というのである。※人生の用意=老後の楽しみ
今まで大変なことをしていたから
老後楽しもうと思っていたけど
病気で余命宣告されてしまったら
自分の好きなことを今して生きていくというのが
いいということです。
今を楽しもうということを示唆していると
解釈できます。
人生というものは先が見えないということを
伝えているのではないか?と思います。
人生そのものが短いと考えるのは間違っている。なぜなら人生は、私たちの使い方次第で、短くなったり長くなったりするからだ
無駄に使わず、有効に使うことが大事だ。
われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、
その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。
結局最後になって否応なしに気付かされることは、
今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。
われわれは短い人生を受けているのではなく、
われわれがそれを短くしているのである。
セネカは続けて、いつ死ぬか分からないのに老後の計画を立てるのはバカげているとも言う。定年後に何かをする計画を立てたところで、
そこまで生きられる保証はどこにもない。取らぬ狸の皮算用もはなはだしい。
ここで言われていることは
人生が長いか短いかということは
自分次第であるということです。
またこのようなことも言っております。
他人のためではなく、自分自身のために時間を使うことが大事だ。
時間を自分自身のために使うひとは、明日を恐れることがない。なぜなら彼には、後は運命の女神が決めてくれるはずだという確信があるからだ。
なかなか難しいということではあると思います。
このようなことがすぐに
実行できるかどうかということは別にして
哲学者の考え方として
頭の片隅においておくのがいいのかもしれません。
哲学者ということなので
本当に哲学の話をしていると思います。
人間の人生や時間は有限であるということ。
普段はこのようなことを考えることはないと思います。
たまに考えてみることもいいのではないでしょうか?
ちなみに僕がいいなと思う考えがあります。
今現在楽しくあるいは精一杯
過ごした先に
その先に未来があると思います。
皆さんが今現在楽しく過ごせることを
願います。
僕も少しは楽しい話ができるようになれればいいなと
日々思いながら過ごしています。
今を楽しく大切に過ごせる
何かしらの参考になっていただければ
何よりです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。