今回は日航機123便について考えていきます。一部で言われている話は違うのではないか?という可能性があります。
一般的に言われていることについてとその解釈について。
1985年の
8月12日は日本航空123便墜落事故があった日、
520人が亡くなった。
公式の墜落事故の原因は、圧力隔壁の修理ミスによる垂直尾翼損傷とされている。
しかしあまりにも
おかしいことが
考えられる。
真相を隠しているが
その中でも
可能性として
考えられるものがいくつかあります。
●核運搬の証拠隠滅説
★意外と触れられないですが
この可能性が考えられます。
日本は在日米軍基地の中に
核を保有していることが
分かっているからです。
★当時総理だった中曽根氏が事故の真相は「墓場まで持っていく」と発言をした説
何かというか全容をしっていた。
中曽根は原子力利権に関与していることから
実は
核運搬の証拠隠滅説もあると考えられます。
日本における
原子力の闇です。
★日本初のOS「TRON」の研究者17名の暗殺説
この可能性が高いと言われていますが
僕もそう思いますが
乗客名簿が
分からないことから
疑問が残ります。
★貿易摩擦・プラザ合意への威嚇説
この可能性が最も高いと
考えられます。
そして実はマスコミ報道についていろいろと
おかしな点があります。
★自衛隊は事故直後に現場到着していた
★待機命令を無視して救助に向かおうとした自衛隊員が●されニュース速報がNHKに出た説
真実は分かりません。
しかしあることが分かっています。
このようなことです。
群馬県上野村村長(当時)の黒沢丈夫(元・帝国海軍少佐)は、テレビ報道の映像を見て、
現場が村内の「スゲノ沢」であると判断し、土地鑑のある消防団員に捜索隊の道案内をするよう要請した。
現場までは熊笹の生い茂る、傾斜角30度の急斜面で、約2kmの道のりに1時間30分もかかる難路だった。
★消防団員でも1時間30分かかる道ということ。
上野村消防団、群馬県警機動隊、警視庁機動隊、多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が陸路で現場に到着、ようやく本格的な救難活動が開始された。
「土地勘」があり、その場所に何度も登った経験を持つ地元消防団員たちの足でも
「1時間30分」を要する道のりである。初めて訪れた「東京の撮影スタッフ」が撮影機材を担いで2時間以内に到着できるわけがない。
マスコミは「どこで救出劇が行われるか」を前もって知っていたということだ。
●マスコミはこの事件が起きることを知っていたということになる。
なぜ高天原山(御巣鷹尾根)なのかということが分かりません。
しかし
この件をマスコミは知っていた。
あるいは真相を隠している。
ちなみに今年
僕はこの件を調べて分かったことがあります。
多くの人が
思っている
★日本初のOS「TRON」の研究者17名の暗殺説
この可能性が高いと言われていますが
僕もそう思いますが
乗客名簿が
分からないことから
疑問が残るという点です。
坂村健のTRONプロジェクトのスタッフ17人が亡くなったいう話
がありますが
乗客者名簿の中には
坂村健の名前が見つかりませんでした。
ビルゲイツを凌ぐと言われた坂村健さんは、慶応大学の工学部出身
トロンをつぶすなら、中心人物である、坂村健氏が乗っていたはずだが
この人は乗っていなかったということ。
このことから
一部で言われている
トロン潰しではない可能性が考えられます。
真相は分かりません。
トロンではなく
プラザ合意の可能性が高いと思います。
あるいは原子力かもしれません。
しかし
520人が亡くなった件を隠していることは
おかしいとしか思いません。
日本国民が
この真実を
知ることが
悲劇を繰り返さないことになります。
なくなった520名の人の
ご冥福をお祈りいたします。