宿題をする意味について考察!

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今回は宿題をする意味について考えていきます。誰しもがしてきた宿題ですが、実はよく考えると疑問があります。僕なりに思うことを書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

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僕が感じる日本の学校教育の謎と宿題をする意味について。

僕が感じる日本の学校教育の謎と宿題をする意味について書いていきますが、本来はこのふたつの根本となっているものがあると思います。

●生徒の主体性です。

生徒の主体性を重視し様々な学びこそが教育とそこにある宿題ではないか?と思います。真面目な内容に触れましたが当たり前に簡単な話です。

ここから僕が学校で感じたことについて書いていきます。ちなみに僕は学校や勉強が苦手で落ちこぼれておりました。そんな僕の目に映る世界です。ちょっと笑いますけどまあこんな教育には僕はついていけなかったし、今考えると間違っていなかったななんて思います。

理科以下の当たり前だけど不思議なことができない教師たちについて。

僕と同世代の人なら共感していただける内容について書いていきます。

●小学校の校庭で行う朝礼について。炎天下の暑い中子供が朝礼で何人も倒れていました。倒れることもがいるということは対策が必要です。絶たせないで座らせるとか。

しかしそのようなことはさせません。日本の教育には忍耐という要素が含まれるからでしょうね。

僕は子供ながらに思っていました。

暑い日に子供が外に立っていたら倒れますよ。理科以前の話ですよね。僕は理科が苦手でしたがこのような簡単なことは分かります。

こんな簡単なことも分からないあるいは分かろうとしない教師って何なんでしょうかね?あほすぎて笑います。

子供が倒れているんですからそのことを考えろと思います。先生とか言われていますが怖い話ですよ。子供を保護しないわけですし対策を講じないわけですから。

おそらくこのような先生が疑問に持たない内容について考えていきます。

多くの宿題が必要ない理由と宿題をする意味がないと感じる件について。

僕が宿題で必要のないものがいくつもあるしそもそもそのような宿題をする意味がないと感じる要因となったことがあります。

●感じで林という感じがありますが小学生の時にこの林という感じを忘れましたが何十回も書くというものがありました。

すでにわかっている漢字を何回も書かせることの意味はなんでしょうか?

ここにも忍耐という要素が含まれていると思います。

また宿題を出したとか宿題をやらせているという体裁を気にしているとも考えられます。宿題をさせるという体裁をとることが大切であり、その意味がないということに気が付かないあるいは気が付いてもそのままやらせる。

このような無意味なことを繰り返す教育が日本国民から考えることを奪っていると思います。

そして大人になってクリエイティブな仕事とかいいますが、できるわけがありません。

子供の頃に創造しない教育で忍耐をさせてきた人間に大人になっていきなり創造しろとかクリエイティブとか無理です。

宿題に大切なことは生徒が進んで考える主体性を引き出すということだと僕は思います。そこに宿題の意味があります。

このようなことを考えている僕が感動した宿題に関して見つけました。ここからそのことについて触れていきます。

ネット上でみつけた感動する宿題について。

ネット上でみつけた学校の先生が亡くなる前に生徒に対する最後の宿題について。

黒板にこのように書かれていました。

幸せになりなさい
君たちが宿題を出す頃に
おそらく僕は天国にいるでしょう。
急いで報告に来るな。
ゆっくりでええから。
いつか面と向かって幸せになったで
聞かせてください
待ってるで。

この亡くなる前に出した先生の宿題ですが生徒が自ら考えるきっかけとなる感動的な内容です。大人にも分からないことが含まれています。幸せという形の見えない人々が本当にもとめていること。この先生は非常に生徒想いですね。

このように生徒に問いかけて生徒が自分で考えることこそが教育の大切なところだと僕は思います。このようなことをしていくなかで子供は学びや成長があると思います。

僕もこんな先生に教わりたかったなと感動する先生の言葉でしたので取り上げてみました。

今回の記事が何かしらの参考になっていただければ何よりです。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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