因果応報というのはあるのか?それともないのか?について考察!

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今回は因果応報ということについて考えていきます。ほとんどの人が聞いたことのある言葉ですが本当にあるのか?あるいはないのか?ということやいったいどのようなことなのか?について考えていきますので最後までご覧いただければと思います。哲学的なやや難しい内容ですが人生を考える何かしらのきっかけになっていただければと思います。

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因果応報というのはあるのか?それともないのか?について。

因果応報というものはあるのか?それともないのか?ということですが目に見えないものなのではっきりとわかりませんが、僕はあると思いますしあると信じております。有名な釈迦の言葉にこのようなものがあります。

すべての存在、すべての宇宙は、人の思いからはじまり、人生も対象的世界も、自分の心が作り出す虚構のリアリティであることを意味している。

釈迦の言葉は偉大だと思いますが人間の思いから始まっているということですね。哲学的で難しいですがこの世界を自分で規定しているということだと解釈できます。あるいは人生は解釈次第であるということだと僕は理解しております。この世界はここの個人が主体的に作り出しているということだと思います。ここから人間の本人の考えや行動が人生を作り出し自分の行いが自分に返ってくるということだと思います。釈迦は因果応報というものがあるというかこの世界はそのように動いていると言ってるのではないか?と考えられます。この考え方の延長がきっと法則ということになるのではないでしょうか?そのことを考えていきます。

因果応報の法則について。

自分がいいことをすればいい結果を生み、悪いことをすれば悪い結果を生むということです。ただしここで難しいことがあります。この因果応報の法則というのは行ってすぐに結果には現れないということです。あることによっては10年あるいはそれ以上の年月がかかるとも言われております。人生哲学の話ですがよく徳を積むという言葉を聞きます。徳を積んでも金銭的に恵まれないこともあります。しかし徳を積むことで周囲が喜ばれ人が集まってくるあるいはその先ですが天国に行けるということが言われております。金銭という物差しだけでは測れないということです。また悪いことをするとすぐ地獄に行くということでもありません。悪いことをすると自分の中に悪さがたまり周囲に人が離れていき孤立してその不幸になるあるいは地獄に行くということだと思います。人間の人生というのは周囲の人間が大切ということで人に恵まれるあるいは人が離れるということに自分のした行いの良さや悪さが帰ってくると僕は解釈しております。ここから僕なりに思うことを書いていきます。

因果応報があると信じて生きていくことが大切だと僕は思います。

人間の思うや考えは例えると種であるということです。このためをまくことで花が咲きます。この種ですがいい種をまくといい花をとれ悪い種をまくと悪い花がとれるということだと思います。自分が蒔いた種に対する結果は自己責任で受け入れるということだと思います。僕はいいことをおもいいい行動をしていればいい結果が出ると信じております。これ以外に信じる者はないと思いますし、因果応報というのはこのようなことを伝えてるのではないか?と思います。何かの参考になっていただければと思います。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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