今回は日本と山本太郎さんについてということを考えていきます。
日本衰退実感について。
衰退の一途を辿る日本
最近のニュースでもOECD諸国と比べた時の日本の平均賃金の安さ、アメリカの約半分で、
韓国より低いことが話題になっていました。日本がいま国際競争力から科学技術力まで国力の衰退の一途をたどっている要因はなんでしょうか。
※特に政治家ですね!!
日本の国力が衰微している最大の理由は、多くの人が短期的な自己利益の増大に走って、長期的なタイムスパンの中で、自分と共同体の利益を安定的に確保するためにはどうしたらいいのかを考える習慣を失ったからです。
目先の自己利益ばかり考える利己的な人間ばかりになったら、市民社会も国民国家も持ちません。
※日本はこの傾向が強いといいうことでしょうね。
今の日本はもう近代市民社会の体をなしていません。私権私財を削って、公共に供託するどころか、逆に、公権力を用いて私利私欲を満たし、公共財を奪って私財に付け替えるような人たちばかりがエスタブリッシュメントを形成している。
「そういうことができる」ということが権力者
※まさに今だけ金だけ自分だけですね。
モリカケ問題から五輪利権まで、公の中心を担う人々が小賢しいスキームを考え出しては自己利益を追求しています。
これはシリアスな亡国の兆しだと思います。豊かで安全な社会で暮らしたいと思うなら、公共財を削り取って私腹を肥やすより、わずかであっても公共のため、他者のために、みんなが「貧者の一灯」を持ち寄って、厚みのある公共を構築することが一番効率的なんです。
本当に利己的な人間であれば、短期的には非利己的にふるまうはずなんです。その近代市民社会論の出発点まで戻らないといけないと思います。
※日本国民が協力することが大切ということ。
※公共事業の大切さですね。
今の日本人は公共というのは、「みんなが持ち寄ったもの」とは思っていません。
海や山のように昔からそこにある「自然物」のようなものだと思っている。
だから、公共財をいくら削り取っても、いくら濫用しても、「分配にあずかれる人間」と「分配がない人間」の格差は生まれるけれども、公共財そのものはいくらでも「食い物」にできると思っている。
だから、自分の支持者や友人は公権力を使って便宜を図り、公共財を使って優遇することを少しも悪いことだと思っていない。
今、多くの日本人が公人は公平で廉潔であるべきだと思っていません。そんなのは「きれいごと」だと鼻先で笑っている。でも、公人が倫理的なインテグリティ(廉直、誠実、高潔)を失ってしまったら、国はもう長くは持ちません。
※このようなまともな意見を言う人はほとんどいないですね。
現に、国内ではまだ偉そうにできるでしょうけれど、日本はもう国際社会から「真率な敬意」を寄せられない国になってしまった。
日本の金や軍事力を当てにして、にじり寄ってきて、ちやほやするところはあるでしょうけれども、それは別に敬意を抱いてそうしているのではない。利用価値があると思うからそうしているだけです。
※この話が本質ですね!
今の日本政府が「世界と人類のあるべき姿」を示して、国際社会に指南力を発揮すると期待している人は国際社会にはいません。でも、「他者からの敬意」なしでは人間は生きてゆけない。
国だって同じです。「他者からの真率な敬意」という糧を失うと、「生きている気」がしだいに失せてくる。
今の日本があらゆる指標で国力が衰微しているのは、そのせいなんです。金がないからでも、軍事力が足りないからでもない。他国の人たちから敬意を抱かれていないからです。
※日本国民全員が豊かになれるように!
最優先は国民全体が豊かで幸福に暮らせるようにすること
国力を回復するというのも、それほど難しい話じゃないんです。
別に大金を儲けたり、軍事力を増強したりする必要なんかない。
国際社会から見て「日本はいい国だな。みんな幸せそうに暮らしているな」と思われる国になれば、それでいい。それが敬意を醸成する。
だから、とにかく国民全員が豊かで幸福に暮らせるように、制度を整備して、厚みのある、手ざわりの温かい公共を再構築する。
※日本国内で過ごす僕たち日本国民がこのように思いません。
増税メガネ自民党のせいです。
最優先に整備すべきは、行政と医療と教育です。その領域には十分な公的支援を行う。
そうすれば、市民たちは安心して暮らし、教育を受け、良質な医療を受けられる。
でも、実際には、「民営化」や「稼げる大学」や「稼げる医療」などというビジネスのロジックを持ち込んで、公共セクターがどんどん痩せ細っている。
※少子化が進んでしまうということです!
※ここからはまさに竹中平蔵の政策です。
公務員を減らして、その分の仕事を派遣会社に丸投げしていますが、たしかにそうやって非正規職員を増やせば人件費コストは削減できるでしょう。
でも、人材派遣会社から送られる非正規職員に、公務員としての責任感や忠誠心を求めることは無理です。
労働者が給料分以上の働きをするときの最大のインセンティヴは組織に対する帰属意識と、与えられた使命を全うしようとする責任感です。
行政をどんどん民営化して、ドライな雇用関係に置き換えてゆけば、たしかに安い労働者を使い倒すことはできるでしょうけれど、彼らにオーバーアチーブを期待することはできない。
しかし、全員が「給料分しか働かない行政組織」が厚みのある、手ざわりのやさしい公共セクターを管理運営できるはずがない。
※昔の日本の終身雇用はこのことがありました。
パイが大きくなっている間は、人間はあまりパイの分配方法については文句を言いません。でも、パイが縮み出すと、急に「どういう基準で分配しているのだ。誰がもらい過ぎているのだ」と言い出す。
自分の取り分を増やすためには、隣の人の取り分を減らすしかないと思っている人たちが、どうやって他人の取り分を減らすかばかり考えるようになる。
今の日本で起きているのはそういうことです。全員が他人の取り分を減らす競争をしているわけですから、パイが大きくなるわけもないし、味がよくなるわけもない。
ただ、お互いの足を引っ張り合いながら、全員が貧乏になるだけです。
新自由主義は先がないということに気づいてよい頃だ
新自由主義の「選択と集中」というのは、パイが縮んでいるんだから、生産性のないメンバーにはパイをやるな、生産性の高いメンバーにだけパイを食う権利があるという露骨な弱肉強食イデオロギーのことです。
それで25年やってきた。そしたら、日本はますます貧乏になり、日本の生産力はますます低下し、人々はますます暗い顔になってきた。もういい加減に「こんなやり方」をしてたら先がないということに気づいてよい頃です。
※失われた30年の裏側ですね。
消費税と非正規雇用だけではなかたということです!!
再生の糸口は「人に親切にすること」
繰り返し書いてきたことですが、パイが縮んでいるからと言って、隣人の取り分を奪い取ろうとすれば、共倒れになるだけです。
今やるべきことはその逆です。さきほど「貧者の一灯」と言いましたけれど、自分がいくら持っているかということは関係ないんです。
わずかであっても公共に提供できるものを自分は持っていると感じるなら、その人が最初の贈与者になればいい。
みんなが少しずつ私財の一部を公共財に供託して(共有財)として全員がアクセスできる領域を増やしていく。
医療や教育が公共財として誰にでもアクセスできるものになれば、僕たちはずいぶん安心して暮らしてゆける。それが社会を豊かにする早道だと僕は思います。
なんだか小学校の学級標語みたいで、気の抜けるような話ですけれども、一番大事なのは「人に親切にすること」だと思います。
もちろん、政府や自治体に向かって「格差是正」「弱者への手厚い分配」を求めるのは必要なんですけれども、その時にもあまり強権的な方法を求めるべきではない。
格差の是正のために、公権力が富裕者の懐にじかに手を突っ込んで再分配しようとしたケースは過去にうまくいったためしがありません。
富裕者からいったん取り上げた財貨を貧者に再分配する前に自分の懐に入れてしまう誘惑に抗うことができた権力者は歴史上まれです。
塵も積もれば山です。みんなで米粒一つ持ち寄っても、いつかは食べ物として分かち合えるくらいはたまります。
「身銭を切って公共を立ち上げる」というアイディアはそれほど空想的なことではないと思います。
山本太郎さんがいっています。
自分が安心して過ごせる日本であることを願うと。
この話も同じだなと思います。