あの世とこの世の謎とどう向き合うかを考察!

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今回はあの世とこの世の謎について考えていきます。この件はほとんどの人が一度は考えたことのある内容だと思いますので僕なりの解釈を書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

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誰にもわからない内容で僕の解釈です。

今回考えていくこの世とあの世の話ですが誰も分からない話です。僕も分かりません。あの世とこの世を往復した人がいないからです。この件を取り上げる理由は正しいとか間違っているということをいうわけでもありません。僕の考えに共感していただく方もいるかもしれないですし、間違っていると思われる方もいると思います。そして僕は皆様に自分の考えを押し付けたり説得したりするということもないです。

どのように解釈しているのか?という一つの解釈です。何かしら少しでも参考にしていただければと思います。

ここからひとつずつ真面目にわかる範囲で考えていきます。

あの世に行くことはわかっている。

人間は必ずあの世に行くということが分かっています。しかしこれ以外のことは分かりません。誰にも分からないはずです。誰か分かっているのかな?と思うことがそもそもおかしな方向に進むのではないか?と僕は思います。そしてここからこの延長線上の話について考えていきます。

この世で手に入れられるものとあの世に持っていけないものについて。

僕たちはこの世で手に入れられるものがあります。お金や地位や名誉といったものです。しかしこれらをあの世に持っていけるかどうかということは分かりません。このあの世に何も持っていけないということがおかしい方向へ行きます。あの世に何かを持っていきたいと願うことつまり執着というものがでるからです。正直あの世が分からない以上このこともはっきりといえないことかもしれません。

しかし自然の原理であれば入ってきたものは出ていくということなので、あの世には何も持っていけないと思います。

この物質的な考えに苦しむ人がいるということが分かっております。

この世で物質的なものにこだわった人ほどこのあの世に行くときに執着が強くなり苦しむとも言われています。

もしもあの世でよりよく過ごしたいと願うのならばこの世で物質的ではないものを手に入れない可能性があります。ここら辺がすごく難しいですが、本当の自分といったものでしょうか?

お金といった物質的なものではなく精神的なものあるいは抽象的なものです。よく聞いたことがあると思いますが、自問自答ということです。

この世で自問自答して自分が何者なのか?ということが分かればあの世でも同じ自分で過ごせるかもしれません。

このことを踏まえたうえでこのようなことが考えられます。

この世で精一杯生きることしかないと思います。

僕たちはこの世の中で仕事をしたり遊んだり学んだりということをしますが、その中で自分は何者か?あるいは本当の自分を探すということが大切であると考えられます。

あまりこのようなことを語りすぎるとオカルトになりますが、きっとこのような感じなのではないか?と僕は解釈しております。

すごく難しいことで僕も自分が何者であるかということは分かりません。

この世で一生懸命過ごすことあるいは本当の自分を探すことが大切であると思います。

たまに聞いたことあるかもしれませんが自分探しということです。実はこの世では自分探しをして真剣に生きることが問われているのかもしれません。

僕はこの世やあの世の話について複数人で真面目に話したことがありますが考えがふたつにわかれます。最後に僕の願いを書いてみます。

僕はあの世や天国や地獄があってほしいと感情的に思っています。

天国や地獄やあの世があるかどうかわからないと言われておりますが、僕はあってほしいと願っています。例がいいかどうかわかりませんがこのような具体例を考えるとどうかなと思います。

★女性を複数回中絶させた男つまり子供を生まれてくる前に●した男

★子供をきちんと育てた男

これは一つの例ですが子供が生まれてくる前に中絶させて子供を●したそして女性を傷つけた男と子供や家庭を大切にしていた男。

あきらかに前者は悪です。この世の法律というものでは対処できませんが倫理違反であると考えます。後者の男は何も倫理違反をしていません。むしろ家庭的でいいと思います。

結婚したこともないし子供もいない僕がいっていいかわからない話ですが。

この二種類の人間があの世は無になるからというのは僕は考えられないしそうであってほしくないと思います。

この観点からあの世もこの世もあってほしいと思います。

これを因果応報というんだと思います。

もしもあの世も天国も地獄もないということであればこの世の中で悪いことがさらに増える可能性があるという懸念があります。

そのようなことになってほしくないと願っております。

またいつも僕のコンテンツを聞いていただいている視聴者さんも天国にいけると思っております。いろいろなことを真面目に考えて過ごしている人々が天国にいかないということであれば誰が天国に行くのでしょうか?

僕はYOUTUBEさせていただいていますができる限り精一杯考えているつもりです。

今回の記事が何かしらの参考になっていただければ何よりです。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

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コメント

  1. 行木沙穂 より:

    はじめまして。あの世とこの世についての記事を拝見致しました。
    とても勉強になり、この世についての考察が深まりました。ありがとうございます。

    私もあの世は存在すると思います。そしてこの世の死があの世での誕生だとも考えています。
    なぜならこの世に生まれてくるとき胎児として生まれてきますが、胎内が全てだと思っていたら、出産は胎内における死でもあるからです。それと同じなのではと。胎内で、この世に必要な身体がつくられるから、この世で生きて行けています。胎内で生きる分には肺は要らないし、消化器も要りません。しかしこの世での誕生を前提に、勝手に身体がつくられます。ということは、この世も同じ様になっているのではないでしょうか?
    この世では必要なさげに見える倫理観であっても、本能的に心優しい生き方が最善であると私は知っています。それはあの世に行った時に必要になるからではないでしょうか?

    この世での全ては、あの世での誕生の準備と考えます。あの世に行ってみなければ分かりませんが、愛の心を後世に残す生き方をしたいと心から望みます。

    もしご返信頂けましたら嬉しいです。
    お読み頂きありがとうございました。

    • kF9acZ7v より:

      コメント読みました。
      貴重なご意見ありがとうございます。
      また何か分かったら投稿します!