学歴差別が当たり前であることについて考察!

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今回は学歴差別ということについて考えていきます。僕は今まで当たり前に学歴差別を受けてきました。そんな僕の目に映る世界ということを書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

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僕は高卒なので学歴差別を当たり前にされてきました。

僕は高卒なので今まで学歴差別を当たり前に受けてきました。僕は昔から勉強が嫌いだったので学校に通うということ自体が向いていなかったのではないか?と思います。高校まで通ってその後働いています。

僕の目に映る世界ですが低学歴の人を見下すという空気感がありますね。そして低学歴であるということから人間性まで否定される。

意味が分からないなと僕は今まで何度も感じたことがあります。

そして高学歴といいますが多くの人がそうはなれないということです。全体のスーパーセントではないか?と感じます。

高学歴の人についての謎について。

高学歴ではなく見下されていた僕ですが色々感じることがあります。

高学歴の人は自分の努力でそうなったと思っているということですが実は本人の努力だけではないということです。このような情報があります。

アメリカのミシガン州立大学とテキサス大学で「努力の遺伝による影響」について合同研究が行われました。850組の一卵性双生児を異なる家庭環境に分けてから楽器の練習をさせ、楽器の練習の努力を比較したところ、「より多くの練習を行う傾向は遺伝の影響も受けている」という結論に至った。

実は遺伝が関係しているという可能性が高いということです。人間は生まれながらにして決まっているというやつですね。ただし高学歴でない人の方がおおいですし、充実した人生を送ることは高学歴でなくても可能です。

高学歴の人の話で遺伝子で努力できるかどうかということが決まっているということ。遺伝と環境ということも関係してくるのかな?と僕は思います。

また学歴ではないですが音楽家にも当てはまることがあるということが分かっております。

すぐれた音楽家は、その技能を獲得するために必要な長時間の練習ができるよう遺伝子にプログラムされている

このことから分かりますが遺伝子+環境という要素が関係しているということです。もちろん本人の努力もありますが。

僕は今までいろいろなことを言われているので高学歴というのは運の要素が強いのではないか?と思っていたりもします。

もちろん高学歴の人間本人は自分が運であるということを全く分かっておりません。

自分の努力と思っています。

だからこのような言葉を発するんだと思います。

努力は誰にでもできる。努力さえすれば勉強ができるようになる。

僕はこの誰にでもできるという言葉は嘘だと思っています。誰にもできません。

僕は算数と理科が苦手だったので大人になった今も全く分かりません。

そして今まで僕が言われてむかついた言葉が・・・

こんなことも分からないのか?誰でもわかるよ。

意味が分かりません。もしもわかっていたらこのような状況にはなりません。

高学歴の人はできない人の気持ちが分からないし、分かろうともしないということだと思います。

そして外国ではこのような調査が分かっております。

大学教育を受けた回答者は、教育水準の低い人びとに対する偏見が、その他の不利な立場にある集団への偏見よりも大きいという

イギリスやオランダやベルギーの研究でこのようなことが分かっております。つまり高学歴な人は学歴のない人を偏見と言いますが見下しているということです。

僕は何回も見下されたことがあるのでこのことがよくわかります。

もしかしたら高学歴の人で学歴のない人を見下していない人もいるのかもしれませんが、多くは見下していると感じます。

僕もそう感じますし僕の周りの人も同じことを言っています。

僕は今までこのような経験を何回もしてきたので実は今楽しいと感じます。

僕にとってYOUTUBEは学歴が関係ないからいいです。

僕はYOUTUBEをして1年半くらいになりますが、やりがいがあるなと感じます。コンテンツを考えるときはなかなか決まらなくて難しいとおもいます。

しかし僕が考えたものを視聴者さんに評価していただけます。

視聴者さんの何かしらの役に立つことができます。

そこには全く学歴が関係ありません。

今まで当たり前に学歴差別を受けてきた僕にとってはいいなとかんじるところがここなのかな?と思います。

いつもコンテンツを聞いていただいている視聴者さんに感謝しています。

ということで今回は学歴差別について思うことを書いてみました。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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