日本の学校教育と社会で求められるものがかけ離れている点を考察!

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今回は日本の教育と社会ということについて考えていきますので最後までご覧いただければと思います。

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あるツイートと学校教育の声と僕の解釈について。

●小学校 中学校 高校
個性認めない

●大学
個性的な人がいい

●就職 個性を見せてくれ
●会社員
個性を認めない

●独立
個性のみが評価される

親や社会の常識や思い込みに惑わされないことが大切が
いまの学校はだれがなんのためにという視点がないために、
根拠のない常識やいまでは通用しなくなった過去の成功体験に縛られている

このままでは
何も新しいことなど生み出せないですね。

さらにこのようなことが
書かれています。

中学校や高校に髪の長さから靴下の色までうるさく制限する校則があるのは、
わけのわからない規則で縛りつけられることに慣れさせて、規則を守り、上に逆らわない従順な人間をつくるためです。
1学級が40人なのも、勝手な言動をしないおとなしい人間をつくるためです。

「いえない」「いわない」「いわせない」人間を生産するための組織です。いまもその本質は変わらない

日本人や日本社会が優れているのは、人々の能力が均質化しているところです。
日本では読み書きや計算ができない人はほとんどいません。
また、人々のモラルが高いのも誇れることです。しかし、自由はあまりありません。
いまの日本の学校では、模擬試験の成績のよい生徒は育てられますが、
リサーチやクリティカルシンキングの力を身につけさせる教育はできません。
生徒は議論もあまりできないし主体性もありません。そのような学校には多様性もありません。

※学校教育では多様性がない教育をうける。
しかし就職するときには
個性だとか多様性だとかという。

日本の学校はいまだに、自己主張や主体性がなく従順で均質化した、
平均的な能力をもつ人材を育てようとしています。つまり、知識やスキル、偏差値の重視です。
しかし、世界はちがいます。世界が求めるのは、主体性があり、自由でクリティカルシンキングができ、多様性があり、
それを受け入れられるオープンマインドをもつ人材です。世界の学校は、そのような人材を育てようとしています。
マインドセットを重視しているのです。そしてなにより、世界の学校では生徒や学生に、「自分は何者か」に気づかせようとします。

日本の教育は
暗記あるいは詰め込み教育ということ。

世界が求めるのは、主体性や多様性。

自分は何者か?と問いかけることが大切なはずです。

学校教育では
個性や多様性を否定し

社会では
個性や多様性を肯定する。

さらに別の内容でこのようなことがありました。

●仕事の開始時間は厳しい
終わり時間は全く気にしない

残業当たり前
おかしいでしょ

幸せになれないのは
このようなことだからだと

僕は思います。

僕は中年で
学校でも社会でも
いい評価を受けていませんが
このようなことを
誰も言わなかった。

そんな僕が思ったことを書いてみました。

何か参考になっていただければ何よりです。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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