日航機123便の真相に迫ります。

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今回は日航機123便の真相に迫っていきます。真相が隠されているのではっきりとわかりませんが考えていきます。難しい経済の話も出てきますが分かる限り頑張っていきます。

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あらゆる角度から真相に迫ります!

色々な疑問点があります。
真相は分かりませんが
このようなことを隠しているのではないか?
ということを考えていきます。

飛行機が落ちた時現場がどうなっていたのか?

123便に原子力
あるいは核について
何か乗せられていた可能性があります。

多量のベンゼン環が発見された

ベンゼン環は、123便ジェット燃料には決して含まれないもの

ガソリンとタールが混合したような激しい臭気に満ちていた

墜落時に漏洩したジェット燃料火災によるものでなく、人為的に「火炎放射器」によって、

遺体と現場が焼かれていたことの非常に明瞭な証拠

★飛行機が落ちていたときに
乗客は数十人生きていたということが分かっている。

つまり乗客を殺したものがいるということ。

在日米軍あるいは
在日米軍に指示された自衛隊かもしれない。

※自衛隊は在日米軍の監視下あるいは
管理下に置かれているから

ただし同胞を殺すとは
考えにくいことから
在日米軍であると僕は思います。

はっきりしたことは
分かりませんが
日本の自衛隊の中には
純粋な自衛隊員と

在日米軍の関係者が
混ざっていると思います。

在日米軍関係者が
関与している。

生存者を殺したのも
在日米軍だと考えます。

このことについて
この件をしる一般人がこのようにいっています。

小中高は自衛隊内の空手道場に通い多くの自衛隊員と交流していた。
隊員の方がたはストレートには答えなかったけど、真意はくみ取れたし
知る限りだが、飛行機を撃ち落とすほどの腐れ野郎はいなかったと思う。

※このことから
自衛隊員が落としてはいない。

在日米軍の関係者ということだと
考えます。

利権が絡んでいたのは間違いない

さらにこのようなことになっています。

後発自衛隊員が、現地に近づくと、これを銃撃したことがNHKの実況中継から示された。
後発隊の数名は、先遣隊が生存者を殺害している現場を目撃したことで、
自殺に見せかけて殺害された。

※自衛隊員が森の中で
首吊り自殺したというが
木の高さから
自殺できないので
殺されている可能性が高い。

オレンジ色の物体が追尾
オレンジ色の物体が、尾翼に張り付くようにしていたと、たくさんの証言があり、
相模湾上空で尾翼を破壊した模擬ミサイルが、そのまま水平尾翼に乗っかるようにして、
御巣鷹山まで飛んだ

という説があるが
僕はこの説は無理だと思います。

理由はもしも自衛隊のミサイルが
空中で的中したら
空中分解するからです。

はっきりとわかりませんが
尾翼部分に何かを仕込んでいた。

在日米軍が

このオレンジエアーというのは
原子力あるいは
核に触れないための
カムフラージュであると思います。

先遣自衛隊に発見された機体後部の生存者は、
その場で火炎放射器によって激しく焼かれて殺害された。

自衛隊は、なぜ、
ここまで人道上の致命的な極悪判断をしてまで、証拠を隠滅したかたのか?

●このことが最大の疑問である。

原子力あるいは核を分かられないようにするため。

この件について中曽根康弘の発言が
注目されている。

墓場まで真相を持っていく。

これは

中曽根は
「強い日本」の標語を掲げ、防衛費の大幅増大により
三木内閣が設定した1%枠を廃棄しようとしていたのであり
123便を自衛隊が墜落させたということになれば
おそらく巨大な問題になると同時に、中曽根政権の存続さえ危うくなる

●防衛費のため

あるいは

原子力利権もしくは核のため

この件の真相が分かりませんが

123便で大量殺人を指示したのは

背後のアメリカ
そしてそれを実行したのが
中曽根康弘
ということではないでしょうか?

このような考えがあります。

中曽根政権がプラザ合意によって、日本側が致命的に不利になり、
その後の、数十年にわたる日本経済低迷の原因となった奇っ怪な経済協定について、
なぜ、日本側が極端に不利な合意を飲まされたかについて、おそらく、この事故の隠蔽をネタにアメリカに脅された

アメリカ側は、この事件の真相を知っており、これを取引材料に使って中曽根政権を脅し、後々、日本経済を崩壊させるほどの不公平協定を結ばせた

といいますが

僕は違うと思います。

中曽根康弘とアメリカはグルだった。

中曽根康弘はCIAエージェントですから。

プラザ合意の目的の背景はこのようなことであると
言われています。

日本に大量に米国債を買わせておきながら、アメリカ人自身は国債は購入せず、アメリカの株式や不動産市場で儲けていた。
金利を意図的に低く仰えることによって、日本と同様アメリカ市場も活性化した。しかしアメリカの場合、日本がその要請に従ったがゆえの活況だった。
結局、日本の大蔵省は、自国の経済に低金利の貸し付けをあふれさせただけではなく、アメリカ経済へも巨額の資金を流出させ、アメリカの低金利をも可能にしたのである。

アメリカにとっては、まさにこれがプラザ合意の目的であった。
当時は健全であった日本経済は、不健全なアメリカ経済への資金援助のために、自国の経済均衡を犠牲にするよう求められた。
インフレを誘発するアメリカ経済が均衡を保てるよう、日本の通貨制度を不安疋にしてアメリカと釣り合わせることを要求されたのである。
このプラザ合意では、「釣り合い」と「均衡」を回復するためにという大義名分が掲げられたが、それは不健全な経済を健全にするのではなく、
健全な経済を同じように不健全で不均衡でインフレ過剰のものにすることによって維持されたのである。

これを実現可能にしたのが日本であり、その結果、日本は深い痛手を負った.
当時のアメリカはレーガノミクスによって、巨額の財政支出にもかかわらず富裕者の税金は削減され、貿易赤字と財政赤字が増加するにもかかわらず、
金融緩和策がとられ金利は下げられていた。

この後に統いた通貨供給量の増加と産業の空洞化はさまざまな問題を引き起こしたが、その治療をするよう求められたのはアメリカ国民ではなく、日本だった。
日本はブラザ合意でアメリ力の抱える双子の赤字に資金援助を行なうことに応諾したのである。この治療こそ、バブル経済で知られる状況である。

プラザ台意のお膳立て=金本位制に代わる財務省証券制なぜこのとき、日本はドルを支える必要性を感じたのか。
この答えは、アメリカがいかにして自国の貿易赤字を他国に支払わせることができたかの理由にもなる。

貿易赤字を抱えていれば、通常は消費や投貸の抑制、
さらには歳出削減や冨裕者、特に不動産役資家への増税を行なう。そのために景気は減速する。

日本製品もアメリカ市場で売れるようになったが、日本のメーカ-はそこで得た米ドルを日銀で円に交換し・その円を生産設備の充実や住宅その他の投資に便った。
日銀は集まったドルの使い道を決めなければならなかった。フランスでは、ドゴ-ル将軍が余剰ドルを毎月金に換えていた。しかし敗戦の痛手から抜け出せなかったためか、
日本は他の主要国に比べて金の保有高を少なくしろとアメリカに圧カをかけられた。

つまり、余剰ドルをアメリカ保有の金や、さらには公開市場でも金に換えないように要請された
したがって、日本の輸出業者やその他のドル受領者が稼いだドルのうち、輸入やアメリカへの民間投資に必要な分を除いた余剰ドルを日銀はどうすることもできなかった。
唯一残された選択肢は、日銀がドルを外貨準備金として、財務省証券の形で保持することだけだった。

アメリカの対日貿易赤字は、日銀を経由してアメリカの財務省に還流していたのである。
通常は、貿易赤字を抱える国はなんとかしてそれを穴埋めしなければならない。
米ドルが金にリンクしていた1971年まではアメリカは金を売却することで赤字を埋めていた。

しかし、アメリカの金保有高が底をつきはじめると、金本位制を廃止して、別の方法を選択したのである。
つまり、金利を上げて民間部門を外国資本に引きっけるのではなく、日銀に余剰ドルを財務省証券に投資するよう働きかけたのだ。
財務省証券の利率は当時の市場の状態(およびその後のドル安)を考えると低かった。
日銀がこの財務省証券で得た金利は、アメリ力の投資家が海外直接投資で稼いだ金利よりずっと少なかっただろう。

アメリカに還流した日本の資金は、日銀の余剰ドルばかりではない。日本が金利を意図的に低く仰えることによって、
アメリ力への投資は儲かるという幻想を抱かせることになったのである。

それは、確実に日本全体の経済を歪めていった。つまり、アメリカの外交官が日本の高官に圧力をかけたのと同じように、
日本政府は日本の投資家に「アメリカに投資しなさい」とささやきかけたのだ。

バブル当時、多くの日本企業がアメリカの不動産や企業を買収し、またドル建て債券に金を注ぎ込んだが、その多くは膨大な損失となって日本経済を餌む一因となったのである。

アメリカは、金本位制から財務省証券制(米国債制)とでも言うべき体制を作り上げていった、
そうして、まるで詐欺のような財務省証券制の成立に、もっとも貢献したのが日本なのである、
日本は詐欺の片棒を担ぐというより、自国の経済を犠牲にしてアメリカに協力したのだ。

●このことに協力したのが
中曽根康弘というアメリカCIAの犬ということです。

アメリカは金本位制から米国債制に変え
この犠牲を、すべて日本に押しつけたという下りが本質でありプラザ合意の成立以前に、日本の貿易黒字の始末を、
米国債購入に振り向けたのが中曽根政権であって、このことによって、日本経済は、アメリカの飼犬であるとともに、
すべての利益を献上する家畜=奴隷にすぎなくなった。

この合意による、日本経済の円高から、日本の構造的不況が取り返しのつかないほど累積するようになり、
バブルが崩壊し、暗い崩壊局面に入り、33年を経ても、未だに経済は暗黒の泥沼のなかから一歩も出ていない。

戦後日本経済を崩壊させたのは、間違いなく、プラザ合意を締結した中曽根康弘政権である。

日本売国政策

中曽根康弘はアメリカciaエージェントです。
日本を
売国した代わりに
原子力利権をもらったのではないか?と思います。

翌年1985年9月22日ニューヨークのプラザホテルで開かれた米英独仏日5カ国蔵相会議でドル高是正の為に各国が強調介入する事を決めさせた(プラザ合意)。翌23日、
為替は235円から215円となり、1年後には150円となった。理由は大蔵省がドル売り円買いの為替介入を、他国の財務省にも委ねながら昼夜に渡って行なったためである。
これで日本が安売り多売でせっせと溜め込んだドルの価値が半減した事になり、凡そ200兆円程一気に海外資産を吹き飛ばさせらされた。
それに比べてポンド・マルク・フランは円程極端に安くならなかった。円一人負け。
そしてその後は、米軍が関与した証拠は一切残っていない
あらゆる無理難題を押し付け対米隷属させて日本資産を収奪している

日航機123便の真相は
中曽根康弘と米軍による結託。

飛行機で尊い命を奪われた520名は

日米経済戦争のために犠牲になったと考えられます。

本当に悔しい限りです。

亡くなった方の心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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