赤信号みんなで渡れば怖くないと根本の和を乱すという心理を考察!

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今回は赤信号みんなで渡れば怖くないという表現と和を乱す心理について考えて書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

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赤信号みんなで渡れば怖くないという集団心理について。

多くの人が聞いたことのある赤信号みんなで渡れば怖くないという言葉ですが、この言葉の意味は禁止のこともみんなでやればできるという集団心理が働いているということです。

信号無視もそうですが禁止のことをするのにひとりでも集団でもするということに疑問があります。僕は信号無視についてどうこういっているわけではありません。いけないことをみんなですればできるということが疑問であると感じたということです。マジメか?とつっこまれそうな話ですが真面目な話です。そして実はこのようなことがおこるには日本国民の特徴が隠されているのではないか?ということについてここから考えていきます。

赤信号みんなで渡れば怖くないと根本の和を乱すという件について。

この赤信号の件ですがこの背景には日本国民のある考えがあると憶測できます。

●日本人は多くの人がやることをいいと思う傾向があります。和を乱すことがよくないという心理が働いていると考えられます。周囲と対立しないことを望むということです。日本の昔の言葉で和を以って尊しとなすということが根本にあると感じられます。

しかしここから大切なことを考えていきます。

赤信号みんなで渡っても事故にあいます。

赤信号をみんなで渡っても事故にあいます。交通事故にあう可能性が高くなります。みんなで渡ることで事故にあわないということはありません。道徳をいうわけではありませんが赤信号を渡るということはルール違反となります。このルール違反に日本人の集団心理がおかしなかたちで重なっているのではないか?と考えられます。最後に僕の考えを書いていきます。

赤信号みんなは関係ない!止まったほうがいいです!

赤信号みんなは関係ありません。自分のことを考えて止まる必要があります。交通事故にあいたくないからです。そしてこの話のもっとも大切なことがあります。

●みんなが渡るから赤信号を渡るわけではありません。ここに大切なことが隠されております。自分の判断です。あるいは自己責任です。

みんなという他人は関係ありません。自分が安全であると思えば渡ればいいし自分が危険であると思えば止まればいいということです。

これは赤信号という話に限った話ではありません。みんなあるいは他人が判断の根拠になっていることが問題です。

日本国民が日本国内で過ごしている以上法律の範囲内ということが前提となりますが、自分がいいと判断すれば進めばいいと思いますし自分がどうかなと思えば止まったほうがいいと思います。

集団心理や和の心を乱すのではないかということが優先されどうかという個人の判断がこの赤信号を渡るということにはないのではないか?と思いました。

赤信号は止まりなさい!

と僕は思います。僕がいうのもどうなのかなと思いますが自分で決めるということがとても大切であり、いつからかこのようなことが日本からなくなってしまっていると思います。日本の学校教育ではこのようなことを教える必要があるのではないか?と僕は感じています。

今回の記事が何かしらの参考になっていただければと思います。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

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