今回は第五福竜丸事件について調べて考えていきます。真相が隠されておりますがわかる限りの情報と憶測も含みますが忘れてはいけない事件についてまとめていきますので最後までご覧いただければと思います。
第五福竜丸事件というビキニ環礁での核実験について。
1954年の3月1日に日本から23名の方をのせたマグロ漁船が太平洋にまぐろをとりに行ったときにおきた悲惨な事件です。アメリカがビキニ環礁というところで水素・核爆弾の事件をしていたんですがこのときに使用していたアメリカの核爆弾は広島の原爆の1100倍だったということが分かっております。このアメリカの水素核爆弾の事件が想定していたエリアよりも全然広いところまで広がり日本の23名の方が被爆しました。核実験だったことから空中から白い粉がふってきてこの粉にはたくさんの放射能が含まれておりました。まぐろをとりにいっていたことからこの23名は縄の準備などがありすぐにひきかえすことはできず数時間にわたってこの白い粉をあびて被爆したということが言われております。船で帰る途中に被爆したことから乗務員は髪の毛が抜けたりといった症状が出ておりましたが船から帰るまでは被爆したことを知らされておりませんでした。アメリカの水素核実験の被害者になっていたんですが、被爆に関する知識がなかったために分からなかったということです。実はこの事件で日本はアメリカから3回目の核の被害を受けております。ここで気になるのがアメリカは日本に対してどのようなことをしたのか?ということについて触れていきます。
第五福竜丸事件についてのアメリカの対応について。
アメリカは日本に対してどのような対応をしたのでしょうか?について調べていきます。アメリカは日本に対して200万ドル支払ってその後に事件の後遺症があっても一切受け付けないということをいい日本もこのことを承諾しました。日本はアメリカに戦争で負けていたということも関係あるのでしょうね。アメリカはこのときにソ連と核実験で競っていたということやこの当時日本国内でも原子力を研究していたということから深くこの事件を追求しないで終わらせるようにことをはこんでいったということです。ひどすぎる話であると僕は思います。そしてこの事件で被害にあった方たちはどうなったのか?ということについて触れていきます。
第五福竜丸の船員である久保山愛吉と他の人たちはどうなったのか?
この事件で久保山愛吉というかたが事故後に亡くなりました。そしてその後にこの船に乗った方たちも亡くなっておりますがこの亡くなったことに関して真相を隠している疑惑があります。様々なことが言われておりますが、おそらくこの船員たちが亡くなった死因は肝臓がんであると言われています。水爆が要因となって肝臓がんで亡くなて行ったということです。この真相も追求しなければアメリカに200万ドルうけとってこの事件を終わらせようとしたということかもしれません。この事件の後に第五福竜丸は夢の島に放置されていたが、その後は夢の島に永久保存あるいは永久展示してあります。日本は核爆弾の被害を受けたのは広島と長崎と思われているかもしれませんが、この第五福竜丸事件でも核被害をうけているので合計3回核爆弾の被害を受けているということです。第五福竜丸事件というのはご存じない方もいるということみたいなので僕なりに思うことを書いてみました。最後までご覧いただきましてありがとうございました。