学校教育の疑問点のひとつを考察!

Pocket

今回は学校教育の疑問点について考えていきます。僕は勉強が苦手で学校が嫌いでしたが、よくわからないなと思ったことがいくつもありました。そんな僕なりに思うことを書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

スポンサーリンク

snsに投稿されていた内容について。

snsに投稿されている内容でこれは何かなと思うものをみつけたので紹介いたします。

修学旅行前日に荷物をつめて中学校に持って来いと。余計な物入れてないか荷物検査するんだと。検査後そのまま学校に置かせるのかと思いきや、また自宅に持って帰らせるとのこと。

この人の書き込みから全く無意味なことをしているということが分かります。一般の方の書き込みですので本当の話だと思いますがこの件について考えていきます。

一度荷物をつめて学校に持ってきてまたその荷物を持ち帰って家で何か入れたらどうするのでしょうか?

●詰めた荷物を学校で預かる

●学校には持ってこないでいいから親に確認するように注意を促す

このようなことであれば分かります。荷物をつめる→学校に持ってこさせる→また家に荷物をもちかえる

全く無駄で無意味なことをしているとしか僕は思いません。

修学旅行の前日にこのようなことをする学校であるということは修学旅行が楽しめないということが予想されます。

あるいは学校の教師は学校で荷物を確認したからそのままの状態で修学旅行に来ると思っているのでしょうか?生徒でよくないことを考える人間がそのままで来るとは考えられないと僕は思います。

そして日本の学校教育と語られる内容についての食い違いについて考えていきます。

学校教育と多様性の矛盾点について。

みなさんもよく多様性という言葉を聞いたことがあると思います。生徒の個性や自主性を尊重するということなのかな?と僕は思います。

多様性がという割には制服で皆同じようにとか長髪禁止とかスカートの長さがどうこうとかえりあしがどうこうとか。

非常に細かいことまで校則できびしくいいます。

男子生徒が明らかな長髪はいけないと思いますが。スカートの長さも明らかにみじかければいけないとおもいますが。ある程度ならいいのではないか?と僕は思います。また男子生徒に対して襟足の長さがどうとか細かすぎると感じます。

学校では下着の色まで指示されるところもあるみたいです。

このようなことから考えると多様性などどこにもないような気がします。

もしもそうであれば多様性という言葉を口にしなければいいと感じます。

また多様性に直接関係あるかわかりませんが教師の生徒に対する高圧的な接し方も良くないと僕は思います。全員の教師がしているわけではないでしょうが、そのような教師を僕はみてきたのでそう感じます。

僕は多様性という言葉を口にしておりますが全く言葉と行動が逆になっていることから本当は子供の頃から管理することを目的にしたことが教育の中に含まれているのではないか?と疑います。

もう少し子供がのびのびできる環境が必要なのではないか?と感じます。

実際に一部の人たちの間で言われておりますが日本の教育は全体主義的教育であると。

このようなことが見直されることを願います。

今回の記事が何かしらのお役に立っていただければ何よりです。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする