日本の教育と世界の教育の違いを示す最初のぺんぎんについて考察!

Pocket

今回は日本の教育について考えていきます。日本と世界の教育を比較する際に最初のペンギンというたとえが分かりやすいということで使われます。この件やあらゆる角度からの解釈を書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

スポンサーリンク

最初のぺんぎんが勇敢であることの意味について。

日本の教育とアメリカの教育を比較するときに出てくるのが最初のぺんぎんということです。教育にぺんぎんがどのように関係してくるのかというとこのようなことです。

アメリカの教育では最初のペンギンになれという教育がなされます。最初のペンギンあるいはファーストペンギンと言われます。

これはどういうことかというと集団のペンギンの中から最初に海に入りエサを探す勇気あるペンギンということを指します。ファーストペンギンの後に他のペンギンが続いていきます。最初のペンギンは勇敢であるということです。

日本ではどうでしょうか?このような教育も全くされないですし、多くの日本人が最初のペンギンになる事を嫌います。

このような教育がどこまで関係しているかわかりませんがアメリカでは会社経営する人が多いということです。会社経営というのはまさにひとりで飛び込んでいくペンギンということです。

日本国民あるいは日本人はこのような教育を全く受けていないですし、むしろ最初のペンギンを悪いとさえ感じてしまうのではないでしょうか?そしてこのことが実はあることに関係してきます。ここからそのことを考えていきます。

パイオニアの意味の根本について。

よくパイオニアという言葉をききます。開拓者という意味です。これはまさに最初のペンギンのことではないか?と僕は思います。日本の教育ではこのパイオニアになれる人が少ないということです。しかし日本人は優秀である頭脳を持っている人が少数いるということでその人たちがこのパイオニアになっていくということではないでしょうか?

この日本の学校教育は大人になっても大きく関係してきます。いったいどのように関係してくるのか?ということを考えていきます。

リスクをとることができない本当の理由について。

日本人は大人になってもリスクをとる際に躊躇するということが言われております。

ここにもこの最初のペンギンということが関係しているのではないか?と考えられます。最初のペンギンになるには勇気がいります。

しかしなかなか勇気が出せないあるいは勇気不足ということが考えられます。

よく日本は同調圧力が強いと言われます。たしかに右へ倣えと言ったことはあると思います。しかし隠されているのは日本国民が最初のペンギンになれないあるいはそのような教育を受けていないということではないか?と僕は思います。

このような教育を受けて大人になってあることを言われます。それがいかに無理であるのか?ということを考えていきます。

新しいことに挑戦する言い換えると物事の始め方が分からない件について。

日本の教育では最初のペンギンになるということを教わりません。集団の中から出て新しいことに挑戦するということを教育の中で教わりません。したがってできないことが当たり前です。しかし大人になって言われます。

クリエイティブ。。。

日本の教育で最も不足しているところです。このような教育をされてきていないわけですから。日本の内閣府の求めている人材というところにこんなことが書かれていました。

無の状態から有を生み出せる状態にできる人間を希望している

この無から有を生み出すというのは最も難しいです。

日本の学校教育で全くこのような訓練を受けていない日本人が社会に出てクリエイティブにというのは厳しい条件でしかないと思います。

本当にクリエイティブな人間を育てたいなら学校教育で最初のペンギンになれる人間をつくる教育が必要です。何かを開拓する人間です。

僕は勉強が苦手で学校も嫌いだったので分かりませんが、このようなことを教えてくれた先生は1人もいませんでした。

日本国民が能力を発揮できずにうまくいかないのはこのようなところに原因があるとも考えられます。

僕はこのようなことを教えてくれる先生がいたら真面目に勉強していたと思います。これからの日本を背負う子供にはこのような先生が必要だと思います。

これからの日本がよりよくなりますように。

今回の記事が何かしらの参考になっていただければ何よりです。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする