ひろゆきの詭弁について考察!

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今回はひろゆきの詭弁について考えて書いていこうと思います。ひろゆきというのはすごく有名でYOUTUBEで大きな顔をしてマウントをとっている人間だと僕は解釈しております。いったいどういったことが裏側にあるのか?ということを考えてお伝えしていきますので最後までご覧いただければと思います。

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詭弁とはわかりやすくいうとどういうことなのか?

詭弁という言葉をききますがいったいこれはどういうことなのか?について確認します。

悪意を持って相手をに意見を押し付ける論破すること

定義はいくつかあるみたいですがこのことが分かりやすいかなと僕は思いました。

自分の考えを押し通すために相手をいいまかすというかんじだと理解していただければと思います。

悪意を持ってという部分からしてもおかしいということが分かります。

この詭弁というものをひろゆきは使っています。

いろいろありますがその中でもわかりやすい内容についてここから考えていきたいと思います。

多くの人が聞いたことのある話について考えていきます。

詭弁とは例えばどういったことがわかりやすいのか?

ひろゆきが詭弁に関して分かりやすい例えがあります。

唐揚げにレモンをかけるかかけないかというときにこのようなことをいいました。そのなかで気になる部分を要約いたします。

僕がかけないことを選んだ時に、かけたい人はかけれるし、かけない人はかけなくてままでどっちのほうが幸せになるかっていう総数でいくと僕がかけない方が幸せになる総数が増えるんじゃないかなと思いました。

かけないで食べたいっていう人の自由を奪うわけじゃないですかあ?それはマナー違反じゃないですか?

ひろゆきはかける派は頭悪いと言っている。

この話の中にまさに詭弁が含まれています。唐揚げにレモンをかけるかかけないかという話から幸せかどうかという飛躍しすぎたことをいっております。

唐揚げにレモンをかけるかかけないかということと幸せか幸せではないかということは関係ないことです。そのことをあたかも関係があるかのように言っております。

そして人の自由を奪うということも拡大解釈です。

レモンをかけることと人の自由を奪うことは大きく話の論点がずれています。

この後に触れますがこの拡大解釈をひろゆきはよくつかいます。

拡大解釈をわら人形論法といいます。

レモンをかけるかどうかなので自由を奪うかどうかということは一切触れていまいということです。

そしてレモンをかける派は頭が悪いと言っています。

レモンをかけるかどうかと頭がいいかどうかということは全く無関係です。

ちなみにマナー違反という関係ない話を持ち出しますがもしもマナーというのであればレモンかけていいですかときけばいいということです。

マナーということも直接関係ありません。

唐揚げにレモンをかけるあるいはかけないということのなかでこのようにいくつも謎であることをいっております。

実はこの手法をひろゆきはよく使っているということが分かっております。

勉強して意図的にやっているのかもしれないなと思いますがそのことをここから考えていきます。

ひろゆきの詭弁としてよく使うストローマン論法について。

ひろゆきは詭弁の方法をいくつかもっております。その中でよく使うのがこのストローマン論法・藁人形論法というものです。

相手の意見を歪めて反論する方法です。

このことについてわかりやすい情報がありましたのでそのことを引用します。

①議題の歪曲
議論の対象になっている言葉を歪曲することにより、反論を容易にします。これにより、相手の意見を歪めることができ、反論が容易になります。こちらは、SNSや2chでの議論・言い合いの場合によく見られます。

②表現の歪曲
言葉の表現を歪曲することにより、反論を容易にします。例としては、「制限する」→「禁止する」、「多くの~」→「すべての~」、「支持する」→「絶賛する」など様々なものが挙げられます。このように、表現を強調することにより、相手の主張を歪めることが出来ます。

③発言の切り取り
この方法は、主張の文脈をとらえずに、意見の言葉尻をとらえて反論する方法です。この方法は、相手が反論しづらい環境の場合に極めて有効です。そのため、TVやニュース記事など一方向型のメディアにてよく見られます。
あからさまに意見を歪めてしまえば、上記の手法も相手や第三者に気付かれてしまいます。

この方法は歪曲(わいきょく)をいかにうまくするのかということが大切なこととなるということです。ひろゆきはここに注意して話の論点をずらしているということです。

みなさんもいろいろなことを思われると思いますが論破とか詭弁といいますが考えが別れるだけであり建設的ではないことだと僕は解釈しております。

このようなことをいう背景にはあることが考えられます。

ひろゆきの背後に見えない力が働いてこのような詭弁をいうことを誘導している可能性です。

ひろゆきを擁護しているわけではありません。僕は嫌いなので全くみません。

またYOUTUBEなどでこのように詭弁を語る人間はストレス解消しているのではないか?ということが考えられます。

人間の本質ということを考えると一時的にこのような詭弁をいったところで何も
かわらずに虚しい思いだけが残るということだと僕は思います。

このような僕の話は多くの人にはうけないなといつも思います。

ただしいつも聞いていただいている方の何かしらのお役に立てれば何よりです。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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