教えない先生が実はいい先生であるという件について考察!

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今回は教育について考えていきます。教えない先生というのがいると言われています。そしてこの教えない先生がいい先生であると言われています。いったいどういうことなのでしょうか?子供の学習や僕たち大人の学習ということについて考えていきますので最後までご覧いただければと思います。

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教えない授業の目的は何か?

一般的にですが先生は生徒に授業を通じて様々なことを教えます。しかし教えない先生というのがいるということです。

いったいなぜ教えないのか?どういう目的なのか?ということですが・・・

子供の成長を妨げるのは子供が考えているときは教えず待つ
子供が考える力をつける事が出来るのだそうです。

子供が考えているときに成長するということで教えないということだったんですね。全く教えないということではないということです。子供が考える時間を大切にするということです。

実は教師あるいは大人にとって子供に何か言うことが最も簡単ということです。逆に子供に何も言わないということが最も難しいということです。

子供の考える時間を尊重するということ。

そしてその後に教えるという授業のスタイルということです。

このようなことで子供が伸びていくということですね。このような教育方針をとっているところはほとんどないのではないか?と僕は思いますが。僕が知らないだけかもしれないですけど。すごくいい教育であると感じます。

そして子供ということだけではないですが向き合い方についてここから考えていきます。

どのようにしたら主体的に学ぶのか?

昔から言われていることですが子供がどうしたら主体的に学ぶのか?ということです。自ら進んで勉強したいと思うことが大切です。

親が子供にどのように接するのか?あるいはどのような言葉を投げかけるのか?ということが大切であるということです。

■どうしたいの?

■どうするの?

という言葉を投げかけるということです。

子供の意志を尊重してそこから子供の考える力を引き出していくということです。

考えさせて言葉を引き出す⇒思考力

答えを探す努力をする⇒粘り強さ

答えを導き出そうとする⇒自立心

僕が子供の頃にはこのようなことは全く教えてもらいませんでした。子供が勉強することを楽しみになるというように運ぶのが教師や親あるいは大人の役割なのではないか?と思います。

そして学ぶのは子供だけではありません。大人も学びます。ここからこのことについて真剣に考えていきます。

先生はそんなこと教えてないということが実は答えなのではないか?

僕は子供の頃や大人になった時も先生はそんなことを教えていないということをきいたことが何回もあります。実は真剣に考えてこの先生が教えていない事こそが大切なことなのではないか?と思います。

そもそもですがいったいなぜなぜ勉強するのか?

いい学校に行くためでもいい会社に行くためでもない。

いい学校やいい会社が目的であれば大人になっていい会社に入ったら学ぶ必要がなくなります。

しかし勉強する本当の目的は自分が幸せになるためです。

自分の幸福というのは、自分らしく生きるという事です。自分らしい生き方は簡単には見つかりません。いろんな事を経験して、消去法で、消して行くと、大抵1個だけ残ります。大抵残った最後の一個って言うのは、一番大変なんです。

自分らしく生きるということに正解などはありません。そしてその答えを見つけるのも大変です。そして見つかった中で一番大変なことだと言われております。

そしてこの大変なことを見つけてやると楽しく感じるということです。ここに到達するために勉強が必要であるということです。

先生はそんなことを教えていないというはずです。

このようなことを教えてくれる先生がいい先生なのではないでしょうか?

学校教育からはみ出した僕の解釈です。しかしこのようなことにこそ学ぶことの本質があると僕は思います。

今回の記事が何かしらのお役に立っていただければ何よりです。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

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