今回は人生には無駄なことはないという名言について考えていきます。僕もそうですしみなさんも生きていればいろいろなことがあると思います。失敗したかなとか無駄だったかなと思ったときに思い出していただければいいなと感じる内容を書いていきますので最後までご覧いただければと思います。
人生に無駄なことはないし全ては解釈次第です!
世の中には効率主義というか無駄を省くことばかりを考える人がいます。人生はいろいろなので解釈もそれぞれだと思います。
しかし人生に無駄なことはないということもまた考えられる解釈の一つです。
人生において最短コースが正しいとは限りません。
無駄な経験、無駄な努力、無駄な出会いが必要です。
人生には、無駄は1つもありません。
人生は正解が一つではありません。一見すると無駄だったかなと思うことも実は違ったりもします。失敗したことも無駄ではありません。失敗や無駄だったということが良い経験になるということも言われています。
無駄なことや失敗したことが実は時間とともに魅力になるとも言われています。
失敗や無駄ということもいい経験だったと思えるように解釈していくことが大切なのではないか?と思います。
そしてここから心打たれる内容について触れていきます。
人生に無駄なことはないという名言について考察!
人生において無駄なことはないという名言について紹介します。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。無駄はよくなる必然だと思っています。
最短の時間やルートで完成するということを考えるのかもしれませんがどの道が最短であったのかということは分かりません。まして創造の政界においては正解がないからです。さらにこのようなことも言われております。
もし仮に、無駄のまったくない人生を生きてきた人がいたとしたらどうだろう。
やることなすことすべてうまくいき、日の当たる場所や、近道だけを選び、効率的で全く無駄のなかった人生。
もしいたとすればの話だが、およそつまらない人間がそこに存在していることになる。
人は、寄り道をしたり、道草をくったり、どん底を味わったり、失敗や嫌な目に遭うという、人生の無駄を経験するからこそ、人としての味や深みが出る。
最短最速の道を進む人がいたとしても魅力的な人間かどうかということは全く別であるということを教えてくれています。
人生において大切なことは自分の間違いに気が付くには失敗してみないと分からないということです。
もしも何かに失敗して時間を無駄にしたと思ったらこのように解釈してみて下さい。
無駄な時間を過ごしたからこそ自分の間違いに気が付いた。
自分の間違いに気が付いたことは良かったなと。。。
いつもいろいろなことに失敗して無駄な遠回りをしている僕の解釈です。
人生は解釈次第だと思います。
何か一つでも伝わればいいなと思います。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。