日航機123便に関する当時から現在まで隠されている訴訟や真相の可能性について。

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今回は日航機123便について考えていきます。色々なことを隠していますので違和感のある点について注目していきますので最後までご覧いただければと思います。

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いったいどのようなことなのか?について。

※日航機123便で
亡くなった家族の人が
訴訟をしています。

マスコミはこの件について
触れません。

38年前の123便墜落事故を報道するが、現在進行中の重要訴訟の事実に触れない。
墜落から28年が経過した2013年9月に政府によって公表された重大事実についても一切触れない。

なぜなのか?ということを考えると
このことが明らかになる事で
この件の真相が分かるからだと思います。

1985年8月12日
JAL123便は群馬県上野村高天原山尾根付近に墜落。

乗員乗客524名のうち、520名が犠牲になった。

4名の乗員・乗客が救出された。

落合由美さんが123便墜落直後の状況を証言した。

「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。

そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

墜落直後に多数の生存者が存在したことを生々しく証言した。

★このことから何が分かるのか?

飛行機が墜落した直後には

乗客は生きていたということ。

しかし、政府の事故調査報告書は、

「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」

と記述した。

★明らかに
日本政府はデタラメをいっている。

123便が群馬県多野郡上野村の高天原山(たかまがはらやま)の尾根に墜落したのは1985年8月12日の18時56分。

御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。

地表からおよそ2000フィートまで降下する許可を得た。」

「墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗くなり始めていた時だった。

山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。」

米軍機は午後7時20分に123便墜落現場を確認。

午後9時20分まで現場上空を旋回した。

この間に米軍海兵隊ヘリが現場に到着。

海兵隊ヘリは救助活動続行を求めたが米軍横田司令部がC‐130ならびに海兵隊ヘリに対して帰還を命令。

C‐130は午後9時20分に、最初の日本の飛行機(自衛隊機)が現われたのを確認して現場を引き揚げたと中尉は記述している。

日本の自衛隊による救助活動が開始されたのは翌朝の午前8時以降。

★アメリカが引き返したのは
日本の自衛隊がきたからということ。

この話がデタラメかもしれない。

しかし本当であれば・・・

墜落から13時間が経過していた。

しかし、墜落地点は墜落直後に確認されていた。

★この13時間に
何が行われていたのか?

墜落原因を123便の圧力隔壁損傷によって垂直尾翼が失われたこととしたが、2013年9月に運輸省航空事故調査員会が公表した

が、123便に「異常外力着力」があった事実を明記した。

123便に外部から「異常外力」の着力があったのだ。

この外力によって垂直尾翼が失われ、123便が墜落したと考えられる。

★きびまさお★

現在、123便墜落で犠牲になった吉備雅男さんの妻が訴訟を提起している。

事故原因の真相を明らかにすることを求めており、このためにJALに対してフライトレーダーおよびボイスレコーダー等の情報開示を求めている。

日本航空123便墜落事故―今訴訟中。
裁判はボイスレコーダーとフライトレコーダーの開示要請。何故開示されてこなかったか。
原因、異常外力着力による垂直尾翼破損の可能性。では異常外力着力とは何か。

★このJALの件を背後で仕組んでいた疑いが高い。
しかし全く答えない。

答えないような指示が
飛んでいると考えられます。

JALには事故を引き起こした責任がある。

犠牲者遺族が事故原因の真相を明らかにするために情報開示を求めている。

JALが企業の社会的責任として遺族の要請に真摯に向き合うべきことは当然だ。

ところが、JALは遺族の要請を足蹴にする対応を続けている。

123便墜落は外部からの異常外力の着力によるものだと考えられる。

123便墜落から38年が経過した今も
この話にマスコミは一切触れない。

●この件の背後にあるのは
日本の
宗主国である
米軍機によって撃墜された可能性が高い!

●中曽根康弘は
このことを知っていた。

しかし一切言っていない。

元日航社員の佐宗邦皇さんがいいました。
123便は米軍機の核ミサイルで撃墜された

この発言をして
お茶を一口飲んで
倒れてその後
病院でなくなった。

明らかに
このお茶に何かがはいっていたとしか
考えられない。

当時の状況について
このようなことが分かっています。

123便の撃墜真相を講演の予定だった。講演会場の席の前方には、目付き顔付きの悪い連中が、7~8名くらいたむろしてた。
CIA諜報側に動員された
佐宗さんは、いつも講演では、ペットボトルの茶を一口のんでから、始めてた。
今回も、先ずと一口飲んでからと、口に含んだ、途端に一瞬だった。
お茶を、動員された部隊がスリ替えおったらしい。

これはと思った佐宗さん側のメンバーが、証拠の茶瓶を持とうと手にした途端、前方の7~8名が奪いかえそうと、突進してきた。
状況は、同席の作家高橋五郎さんなんかよく存知だよ。瓶は渡さなかったが、そん時の連中の目付き忘れられないと関係者は云う。

このことで佐宗邦皇さんが●されたことから
ここに真実があると
僕は思います。

元日航社員の佐宗邦皇さんがいいました。
123便は米軍機の核ミサイルで撃墜された

ということは
日航機123便の尾翼部分に小型の核が仕込まれていた。

そして
123便は御巣鷹山に落ちた。

生きていた乗客を●したのも
在日米軍関係者であると僕は思います。

亡くなった520名の方のご冥福を
お祈りいたします。

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