今回は123便の生存者について調べたことを書いていきますので最後までご覧いただければと思います。飛行機の事故といっている公式発表がデタラメである以上生存者についてもデタラメである可能性があり調べたらあることが分かりました。僕も今年このことを知りました。
いったいどのようなことなのか?について。
公式発表には嘘が多いということです。
123便には乗客は524名で
520名が亡くなって
4名が助かったということです。
しかし調べてみると違った情報があります。
●日本経済新聞には生存者7人発見
と出ています
●朝日新聞1985年8月13日の夕刊最終版4版一面トップの見出しは生存者8人と
あります。
いったい何が本当なのでしょうか?
この7名なのか8名なのか?ということの違いについては
このようなことが分かっています。
この違いはこのことです。
1985年8月13日、群馬県多野郡上野村のスゲノ沢に長野県警の警察官や自衛隊員が集まり、
吉崎博子さん、美紀子さん、落合由美さん、川上慶子さんと4人を次々と救出していきました。
日経の紙面には落合由美さんの記載がない
朝日新聞1985年8月13日の夕刊最終版4版一面トップの見出しは
生存者8人と正確に報道しています。
★123便には乗客が
528名乗っていたということになります。
実は考えられる可能性がふたつあります。
何が本当かわかりません。
【その①】
実は乗客は520名だったのではないか?
生存者4名も
生存者8名も
嘘なのではないか?
ということ。
あらかじめ狙いがあった。
520名を狙っていた。
必高天原山にある神社の両脇にある520体の石仏
これに併せて
予め乗客の人数も併せていた。
亡くなった高浜機長の数も併せていたとなると
519名だったのではないか?とも思います。
★僕はこちらかなと思っております。
しかし次の可能性もあります。
【その②】
123便が墜落したときに乗客は生きていた。
しかしあるものに証拠隠滅のために
殺された。
生存者は口封じされたということ。
ただしその中で8名が助かった。
落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの4人
この4人以外に
他に4人いた。
7~8歳くらいの男の子
中学生くらいの男の子
女の子
20代の男性の4人
最近、生存している可能性が出てきました。
高天原山にある神社の両脇にある520体の石仏
石仏(せきぶつ)とは、石に彫られた仏像
に人数を合わせるためということです。
●この生存者については
このような情報が分かっています。
13日午前に救出された消防団員に抱えられた女の子の消息も完全に途絶
ただし非常に不可解なことがあります。
一人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。他の2人は毛布を被(かぶ)されているために、
男女の別や怪我の程度は、はっきりしない
担架に乗らないで歩いて救出された女の子
この女の子は、その後どうしたのか。女の子が存在したこと自体が、完全に世間から消されている。
消防団員に抱えられた女の子も殺された
可能性があるということです。
しかし
この生存者は今もなお
生きているのではないか?ということが
うわさになっています。
滋賀県
兵庫県
などで生きているのではないか?という噂があります。
しかしここには
当然ですが
見張りが付いている可能性があります。
★日本政府の上・国家権力の上のものが見ている可能性があります。
おそらく生存者は
123便の真相
当時何があったのか?
ということを知っている。
しかしそのことを口にしない
あるいは
できない
自分が殺されるからです。
123便の生存者について
いくつか質問をいただいたので
分かる限り調べてみました。
なぜ川上慶子さんが生きていたのか?
あるいは
川上慶子さんは
123便に乗っていなかったのではないか?
といったことも話題になりますが
真相は分かりません。
しかし嘘をついていることだけは分かります。
このような矛盾が明らかだからです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。