能登の揺れと珠洲市の過去とその後の原発の闇について。

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能登の揺れと珠洲市の過去とその後の原発の闇についてお伝えしていきますので最後までご覧いただければと思います。

●原発利権に関係してやられた可能性がひとつ考えられます。

大企業と背後の米の原発利権だと考えられます。

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【全体について】

【情報】

もしも志賀原発が

稼働していたら

日本が崩壊していた可能性がある。

福島よりも被害が大きかった。

福島のときは

時間が30秒あったが

志賀原発は3秒しかない。

志賀原発の制御棒スクラムは

約10秒。

制御棒が入る前に

制御系が破壊され

原子炉が暴走する可能性が考えらる

志賀原発が稼働していたら

福島よりも大変なことになっていた。

志賀原発は

とまっていたが

何かしら大きな不具合を

起こしている

可能性があります。

このことを隠しています。

【別の情報】

過去にこのようなことが
ありました。

珠洲市 すずし

は2003年のときに

原発を

つくることで

もめていた

関西電力:北部 高屋町たかやちょう

中部電力:三崎町 (みさき

北陸電力:調整役

ここで原発推進派が

関西電力
中部電力

を採用して

反対派をつぶそうとしていた。

1993年の

市長選で

原発反対派は

負けました。

しかしこの際に何か

票数があわないということで

最高裁判所まで

話がいき

無効になりました。

不正選挙(最高裁が認めている、「選挙無効」の判決)。

★不正選挙があるということ★

その後原発推進派が

当選しましたが

反対派は

団結して反対運動していました。

2003年12月に

原発計画は凍結されました。

今回志賀原発は

反対派の人たちの

おかげで止まっていました。

もしも原発反対派がおらず

原発賛成派の考えで

原子力発電所ができていたら

地元の人は

震災に加え

故郷をなくしていたといわれています。

地元の人たちが

能登を守っていたわけです。

当時3万8千人の住民人口は、現在1万2千人足らずにまで減少

したということです。

一刻も早い
復興を願います。

関西電力、中部電力、北陸電力

そして

経団連の十倉が

数か月前に

志賀原発の再稼働を

しようとしていました。

おかしいとしか思えません。

能登の人たちが

日本を守ってくれました。

その能登の人たちが

政府の棄民政策で

どんどんなくなっています

この状況どうにか

ならないものか?と思います。

このことを

岸田は知っているはずです。

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