松本サ●ン事件の不可解な点と犯人ではないものたちの根拠について
考えていきます。
全体像★難しい★日本を超えている★わかるところまでいきます。犯人ではないふたりまでわかりました。そこから先がどうにも調べても考えてもわかりません。
【コメント】
サリン事件の闇は深い
松本サリン事件も、実行犯の供述では22時頃なのですが、
住民に症状が出始めたのかまだ撒かれていない20時頃だった。
供述と実際に明らかに矛盾がある。
このコメントから
考えると
サリン以外で
何かしらされた
ということになります
★この事件は
非常に難しい点があります
誰が犯人なのか?
目的は一体何か?
まずは
犯人ですが
河野義行さんでもなく
オウムでもないということ
いったい何のためというところが
非常に難しいです
河野義行
こうの よしゆき
【状況】河野義行さんが犯人ではないということ
「謎の毒ガス」で多数の死傷者
1994年6月27日夜、長野県松本市の社宅など数十世帯の住宅で「謎の毒ガス」とおぼしき物質を吸い込んだ結果、翌午後1時までに死者7人を出す大惨事が起きました。
他に50人以上が病院に搬送され、なかには後に亡くなった方もいます。生存者は一様に息苦しさなど呼吸器系統や神経系への打撃を訴えており、同じ効能がある有機リン系毒物がまず疑われました。
炭素(有機)とリンの結合体を含んだ化合物は害虫駆除のため広く農薬に使われており、当初の見立てではそれによる中毒ではないか、でした。
ただ当時までに用いられていた有機リン系農薬で半径約70メートルという範囲で、死者が多く出た窓の開いていた2階に集中する(つまり空気より軽い)
ものは考えにくく、
初めから有識者の多くが「症状は似ているものの農薬とは思えない」と発言していました。
長野県警の捜査本部は事件の第一通報者であった河野義行さんの自宅を捜索して多くの薬物を押収したと発表
毒ガスの発生がこの自宅であり、農薬を調合している際に誤ってガスを発生させたとの見立てを示して捜査を進めました。
★できませんから
河野さんを犯人視するような報道
入院中の河野さん自身への取り調べも十分でなく、毒ガスと押収品との因果関係も明らかでない
6月30日、河野さんは弁護士に事件とは無関係と病院で告げ「私は被害者」と訴えます。
3日、捜査本部は河野さんの自宅付近からサリンと思われる物質を検知したと発表します。
★CIAがこっそり作っていた
疑惑があります
サリンも有機リン化合物ですが、毒性は農薬などとほど遠い大量破壊兵器の化学兵器で化学兵器禁止条約(1992年署名)
で開発、生産、保有を禁じられています。
とてつもない毒ガスとわかり、焦点は農薬調合のミスなどで発生させられるかどうかという議論に移りました。
専門家も「あり得る」から「できるわけがない」までさまざまな意見がマスコミをにぎわせました。
★マスコミは真相を
隠すために
犯人をでっちあげた
★このこと自体がデタラメ
オウム施設でサリン副生成物が見つかり急展開
急展開したのは同年11月、山梨県上九一色村にあったオウム真理教教団施設周辺でサリンの副生成物が検出されてから
この物質は自然界に存在しません。人が作ったとしか思えないのです。調べていくうちに「サリン」という当時聞き慣れないこの言葉を松本の事件以前に教祖の麻原彰晃代表(当時)
が何度か使っていたなど関与が疑われる傍証が次々にみつかりました。
★しかし
オウムは
サリンを作っていなかった
第七サティアンで
作っていたのは
●物だった
この謎の者は
どこからきたのか?
マスコミはというと朝日新聞が4月、「河野さんに本社陳謝『農薬調合ミス』報道
できません
おかしいのもいいところです
★ここまでで
わかることですが
河野義行
こうの よしゆき
さんも
オウムも
サリンを作っていない
サリンということであれば
この2人は
無罪ということになる
もしも
サリンではないということであれば
この2人の
可能性は出てくる
次に行きます
【意見】
衝撃の事件は94年6月27日深夜に発生した。松本市の住宅街に神経ガス「サリン」が散布され、8人が死亡した。
実は、オウム真理教の犯行だったが、警察や報道によって、まったく無実の河野氏の関与が疑われ、
「発生からたった2日で、世間から殺人鬼と呼ばれるようになった」という。
最終的に、国家公安委員長が河野氏に謝罪し、マスコミ各社が訂正記事や謝罪文を掲載する事態となった。
河野さんの冤罪事件は、国家権力によって作られた
【意見】このことから
河野義行
こうの よしゆき
さんではないということが
わかる。
「犯行(サリン撒布)時刻よりずっと前から中毒症状自覚者が多数いた」という事実は95年当時にも一部で取り上げられた
「麻原裁判」で弁護人がその事実を取り上げても検察側がなんら反論しなかった
裁判の異常さが如実に示されている
★検察も手出しできない
つまり
せんべえ
統●
の可能性です
「 起訴状によると、麻原被告は、村井秀夫、新實智光、遠藤誠一、中川智正、中村昇、橋本悟、富田隆らと共謀の上、
これら七人の実行犯たちに、一九九四(平成六)年六月二七日午後一〇時四〇分ころ、松本市深志一丁目三一二番地地所駐車場で、運転してきた噴霧車であるワゴン車の噴霧口から気化したサリンを噴出させ、
約一五分間にわたり、約一二リットルのサリン容積をほぼ全量撒布し尽くさせ、サリン中毒により、七名を死亡させ、一八名に傷害を与えて、殺人罪・殺人未遂罪を犯した」
起訴状の犯行実施部分を要約すると、“94年6月27日午後10時40分から午後10時55分前後に噴霧車を使ってサリンを撒布した”ということになる。
(河野さん宅の裏にあった池がサリンの“発生源”であったわけではない)
“午後10時40分から午後10時55分前後に噴霧車を使ってサリンを撒布した”という事実の主張に大きな疑念が提示されている。
それは、サリンが撒布されたとされる時間よりもずっと早い時間帯にサリンの中毒症状を感じたひとたちが存在していた
サリンというのであれば
★麻原でもオウムでもないということ
【情報】
弁護側提出の「松本市有毒ガス調査報告書」によると、松本サリン事件後に周辺住民を対象としたアンケート調査で、松本サリン事件で発生したとされているような症状を感じた人たちが、
(8から9 9から10)
★6月27日
午後8時から9時までに5人
9時から10時までに8人
★6月28日
午前6時から11時に
かけて
ピークだった
検察官主張の公訴事実によれば
松本サリン実行行為は「6月27日午後10時40から15分だった
★6月27日
午後8時から9時までに5人
9時から10時までに8人
この部分と
全く矛盾します
13人は
松本サリン事件の被害者同様の症状に襲われ、
実行行為後7時間以上も経ってから同様の症状を感じた
おかしいということです
松本サリン事件の実行行為と因果関係が成り立たない。
このことから
わかることがあります
河野義行
こうの よしゆき
でもオウムでもない
別のものが
行った
松本で亡くなった被害者たちは、本当に「実行犯」たちが撒いたとする「サリン」でなくなっただろうか。
それとも「別働隊」がどこかにいて、その「犯人」たちによって撒かれた何物かによって亡くなったのだろうか。
松本サリン事件で本当はいったい何が起こっていたのかというもっとも根本的な疑問
麻原を●刑にしてしまうことで
このことが迷宮入りしてしまう
犯行開始時刻(午後10時40分)から翌午前1時ころまでに中毒症状を感じた人(たち)のデータがなく、そのような人(たち)がいたかいなかったのかという説明もない
つまり
真相は分からないということ
になってしまった
「松本毒ガス事件」後に警察やメディアが河野義行さんを長期にわたって“犯人扱い”したこと
検察は
犯人をわかっている
★せんべえ
統●
CIAの関与としか思えない
【状況】
麻原裁判の法廷では、長野県科学捜査研究所の担当者が、松本サリン事件で撒布された毒ガスがサリンであると判明したのは事件後二、三日のうちであり、
六月末には警察に分かっていた
なぜ、サリンを造れないことがはっきりしていた河野義行さんを被疑者とする捜査を延々と続けたのか。
★本当の犯人が
わかってはいけないから
科学者は、サリンの原料になる薬品類を現金で大量に買いつけた者を
捜査すれば容易に犯人をとらえることができるはずだと指摘していた
警察は、そういう捜査をいったいいつから始めたのか。
警察による松本サリン事件の真相隠しの疑惑が強烈に浮かび上がってくるのである。」
【状況】
長野県警上層部は、河野さんが毒ガス撒布に無関係である(能力がない)ことを知っていながら
配偶者が神経ガス中毒症状で寝たきりになっていた河野さんを翌年3月のオウム強制捜査まで被疑者として過酷な取調べを行わせ
メディアにも様々なリーク情報を垂れ流すというとんでもない状況を放置していた。
松本サリン事件は、今でも、オウム真理教の人間が何名か関わっていたとしても、指揮命令系統は教団外にあった
そう考える最大の理由は、無差別殺人という前代未聞で超破格の反国家的事件でありながら、長野県警といういち地方の警察機構に捜査が委ねられたこ
事件から2.3日のうちに、散布された化学物質がサリンであることが特定されています。
本来なら、その時点で、内閣は、特別組織を立ち上げるか警察庁を指揮するかたちで、国家レベルの捜査態勢を敷かなければなりません。
政府はそれをしないどころか、長野県警が第一通報者である河野さんを犯人のように扱い、メディアもそれに追随するという異様な状況を放置し続けました。
その結果、まさに“超弩級のテロ”である「サリン散布による無差別殺人事件」が、普通のサラリーマンでもしでかすことができるちょっとした事件に矮小化されてしまったのです。
そのため、今でも、翌年3月に起きた「東京地下鉄サリン(毒ガス)散布事件」が日本で最初の化学物質を使ったテロと考えている人が少なくないはずです。
★地下鉄サリン事件の布石と考えられます
【状況】
松本サリン事件は、テロリストの犯行
死者七名を出した松本のサリン事件は、半年を経た現在も解決をみず警察の捜査は難航している。
日本にはサリンを実際に扱える専門家がいない
警察は完全に初動捜査を誤り、事件はうやむやのうちに忘れられようとしている。
【状況】
事実の解明を始める前に、サリンがいかに危険な物質であるかをお話ししましょう。
サリンは一九三〇年代にドイツで開発されました。すでに一九二五年のジュネーブ協定で化学兵器の使用は禁止されていましたが、その開発と備蓄には何の規制もなく、
また、報復としてのみ使用することが許されていたのです。
一九六〇~八○年代NATOドクトリンでは、ヨーロッパで対ソ連戦が起きた場合、一日に最大一万トンの化学兵器を使用する計画がありました。
もしもこの計画が実行に移されれば、東ヨーロッパは数日のうちに存在しなくなってしまう。化学兵器というのは、それくらい危険なもの
そもそも、サリンが戦場で使用された例は、歴史上一度もない
★つまり
サリンが使われていないということ!!!
サリンというのは絶対、偶然には出釆ません。つまり、非常に明確な意図を持った人物が作ったもの
神経に障害を与えるある種のガスの非常に典型的な症状
河野義行さんの担当医、松本共立病院の鈴木順氏は次のように語っています。
「この事件の被害者は二百名。うち死者が七名。当院入院患者は十八名です。
その夜はドクター五人と看護婦十人が緊急に呼び出されました。
興味深いのは警察官や救急隊員、医師や看護婦に頭痛や呼吸苦、目がチカチカするといった二次汚染があったことです。
特に患者と同じ部屋で長時間接している看護婦に症状が現れました。手袋などはしていたんですが患者の吐き方が酷いので、手についてしまった
【情報】
松本という街は、来年長野オリンピックの舞台の一つになるそうですが、私にはテロリスト達が実験をするのにふさわしい場所
それがなぜ松本なのかは、犯人に土地カンがあった
犯人に土地カンがあった
ということから
このようなことが
考えらえます
【情報】
松本サリン事件が起きる直前、松本市内で、警察によるローラー作戦が行なはれて居た
ローラー作戦と、松本サリン事件は無関係だったのか?そして、事件を起こしたのは、オウム真理教教団の人間たちだけだったのか、
松本サリン事件に
北の工作員の関与の疑いあり
松本サリン事件の夜、事件現場近くで、「宇宙服の様な服を着た人物を見た」住民が居た事も、この事件の謎
サリンかどうかということも
わかりませんが
何かしらの
ものをおおがかりでまいていた
★
宇宙服の様な服を着た人物を見た
防護服だろうか
★地下鉄サリン事件で
きていたもの?
いろいろ調べて
どこにも
情報がないから
わかりませんが
オウム真理教が、北朝鮮と連携して居た
なにかしらの●物をめぐって
行われた可能性があります
松本サリン事件
北
ここにオウムの関与
せんべえの関与
●物利権が
何かしらの形で
関係していた
オウム
せんべえ
統●
の中で
何かしら
●物利権で
こじれた
はっきりと
わかりませんが
統● せんべえに
いいように
利用されていた
オウムが北と
組んで
クーデターを
したのが
松本サリン事件かもしれません
自民党が関係している統●
オウム
ですから
当然本当のことを
報道されるはずがありません
分かっているのは
松本サリン事件
の犯人は
河野義行さん
オウムではない
ということ
内部でこじれた可能性が
あります
もしもですが
このおかしいまかれたものは
731が作ったものか?とも思いました
これ以上は
わかりませんでした
統●
せんべえ
おうむの
内部分裂
そして
統●
せんべえは
オウムを
排除するために
地下鉄サリン事件に
向かっていったのかもしれません
北とかでてきて
わからないですね
宇宙服の様な服を着た人物
というも謎だらけです。
北の工作員が多い
松本でもローラー作戦が有った
おそろしいですね