ある生徒が先生に発した泣ける言葉について考察!

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今回はある生徒が先生に発した泣ける言葉についてお伝えしていきます。snsで見つけた心動かされる内容について書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

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先生に対する感謝の言葉やメッセージおよび先生を感動させる言葉はもともとなかった件について。

今回の内容は生徒が先生に感動する言葉やメッセージを発するというものですが実はもともとはこの関係とは全く別であったということです。

●この先生は教育熱心な先生で5年生のときにこの生徒の担任になったということです。

この生徒は学校に頻繁に遅刻し授業中は寝ていて授業にもほとんど参加しなかったということです。挙手することもなく他の生徒とも違っていたということからこの先生はこの生徒を嫌い生徒の記録に悪いことばかり書いていたということです。そんなこの先生ですがあるときにこの生徒の過去の記録少年の一年生をみたようですがこのように書かれていました。

朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来楽しみ

先生はこのことを全く信用しなかったそうです。別の生徒であると感じたそうです。しかしこの続きがありそこにはこのように書かれてありました。

二年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、 教室で居眠りをする」。
三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、 四年生になると 「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
この生徒は子供ながらにすごい事情を背負って生きていたということです。もともとは明るい性格だったが家庭で母親の事情があり苦労と苦悩と悲しみを背負っていたということです。父親の暴力もうけており家庭で居場所がなかったのではないかと思います。この先生はこのことをしり反省しました。自分が嫌う駄目であると思っていた生徒が苦労と悲しみを背負って生きていた。先生は今までの考えを変えて生徒に声をかけたそうです。
●先生は教室で夕方まで仕事するから勉強していかないかと。もしも分からないところがあれば教えると。
この言葉をかけた時に初めて生徒が笑ったそうです。その後に毎日先生と生徒は放課後勉強するようになったそうです。その後にこの生徒は授業中に挙手するようになって先生はとても嬉しかったそうです。この先生と生徒は小学校5年生のとき担任の関係でしたが、6年生になって担任ではなくなったようです。
ここからが感動する話です。

小学校の卒業式での泣ける言葉について。

小学校6年生の時は担任ではなかったですが、この生徒が小学校を卒業するときに先生に手紙をかいたようです。その中にはこのように書かれていました。

先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした

この生徒が書いた言葉は本当に泣ける言葉です。母親がなくなったことこの生徒にとって先生の優しさが届いたんですね。学校に通う本当の意味がこのようなところにあるのではないか?と僕は感じました。そして人は自分がしてもらったことを忘れずに覚えているという話がここからまた続いていきます。

先生に手紙というか恩師に書かれた手紙について。

この生徒が小学校を卒業して6年がたった時に先生というか恩師ということで手紙が送られてきたようです。そこにこのように書かれていたということです。

明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます

この生徒の人生をこの先生がより良い方向へ導いてくれたということです。そのことをこの生徒は分かっているということです。この生徒が医者を目指したのは自分が父親に叩かれた辛さとこの先生が自分にしてくれた優しさがあることで人に感謝と痛みが分かる医者になりたいと思って医者を目指したようです。この生徒は自分がもしも5年生の時に先生に担任になってもらえなかったらダメになっていたと言っています。自分を助けてくれたこの先生が神様であると言っております。先生から恩師そして神様のような存在であると。そしてその数年後にまた送られた手紙があります。

この生徒が医者になり結婚するときに担任に送られた手紙にこのように書かれていた。

母親の席に座ってください

先生の結婚式の招待状にこの言葉が書かれており、担任の先生は嬉しくてずっと泣いていたということです。

この先生と生徒の関係に教育の意味があると僕は思います。日本ではこの生徒のような人がいると思います。しかしそのことに気が付かない教師が多いと思います。教師も生徒にこのように思われることは教師をやっている本当の意味があることだと思いますが、このような教師はなかなかいないでしょうね。

生徒をダメだと思って切り捨てるあるいは見放すことは簡単です。しかしそれが教育なのでしょうか?ということが僕には大きな疑問です。

この生徒の可能性を引き出したのはこの担任の教師です。

ダメな人や子供などいないし、可能性もやってみなければわかりません。可能性がないわけではなく大人が子供の可能性を潰しているのではないでしょうか?

日本で教師や先生と言われている人間はこのようなことを知る必要があります。

生徒に何かを教えるということは勉強だけではなく、このようなことだと思います。

僕もこのような先生がいたら勉強していたなとつくずくかんじました。

教師は給料をもらうサラリーマンではないはずです。子供に背中をみせるこのような先生がいたら日本がよりよくなると思います。

またこの生徒のような人の痛みが分かる人間が医者になる事で救われる患者もたくさんいると思います。

ここ最近で感動した内容について僕なりに思うことを書いてみました。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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