今回はアリとキリギリスの話について考えていきます。多くの人が知っている話ですが、ここからいろいろ考えることや学ぶこともあるのではないか?という解釈を書いていきますので最後までご覧いただければと思います。
アリとキリギリスの意味や結末について。
イソップ寓話(ぐうわ)として知られているアリとキリギリスの話ですが、確認ということで内容を書きます。
夏の間働き者のアリは冬に備えるためせっせと働き続けキリギリスは遊び続けます。冬になるとアリは備えていた食べ物で生きていくことができるのですがキリギリスは食べるものが無くなり困ってしまいます。
この話の意味は地道ということの大切さを物語っているのか?という解釈もできます。しかし後半部分で触れていきますが、この話はどちらがどうということではないと僕は思います。
この話の結末はキリギリスがアリに食べ物をもらったけどキリギリスは死んだということです。
働くことと怠けることを比較対象しているということとも取れます。この話の展開ではキリギリスに対してマイナスイメージがありますが実はこのような解釈もあるということです。
キリギリスの哲学について。
実はキリギリスの哲学ということも言われております。食べ物をもらえるのならキリギリスでもいいということです。このことが哲学と呼べるのかどうか?ということも疑問ではありますが生きていけるあるいは生存できるということであればいいということなのでしょうか?楽をして困ったら食べ物をということに関して疑問がある部分が僕にはあります。ここからこの話の大切な点について考えていきます。
アリとキリギリスのどちらが正解かという考えについて。
このアリとキリギリスの話ですがどちらが正しいということになりますが、その考えがおかしいとも言われております。
アリとキリギリスは生き方が違います。人間も人それぞれの生き方があるということです。
片方の考えが正しいとか片方の考えが間違えているということを議論することがそもそも間違えていると考えられます。
この話を人間に例えると生き方はいろいろですね。色々な生き方があるよねということだと僕は思います。このことについて最後に触れていきます。
アリとキリギリスの教訓について思うこと。
どちらかが正しくてどちらかが間違えているという考えがそもそも違うということです。アリのような生き方を選択する人もいればキリギリスのような生き方を選択する人もいる。正しいか間違えているかということではないということです。
●ありのように働いてばかりの人生も厳しいなと思います。
●キリギリスのように遊んでばかりの人生もどうかなと思います。
この話の教訓はありみたいにはたらいてキリギリスのように遊べということなのではないでしょうか?
僕はありみたいな人生です。働いて働いてということですが今はそんな人生も嫌ではないです。特にYOUTUBEは働くといっても自分が何かしら関心のあることを伝えるので働くのがいやでいやでたまらないということは感じません。
逆にきりぎりすみたいに遊んでくらすといっても今まで僕は40年間そこまで遊んでいなかったので逆に戸惑うなと思います。
人生はバランスが大切であると思います。
何かしら参考になっていただけるものがあれば何よりです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。