今回はキャロルの解散理由について調べていきます。またジョニー大倉と矢沢永吉の確執についても触れていきますので最後までご覧いただければと思います。
Contents
ミュージシャン・矢沢永吉がジョニー大倉らと組んでいたバンドは何?
矢沢永吉(ベース・ボーカル)
ジョニー大倉(ギター・ボーカル)
内海利勝(ギター・ボーカル)(うちうみ としかつ
ユウ岡崎(ドラムス)
内海利勝
これがキャロルです。
ものすごく
人気がありました。
しかし短期間で
解散しました。
そのことに今でも
注目が
あつまっています。
本当のことが
分かりませんが
気になる情報を
考えていきます。
キャロル失踪事件について。
キャロル時代にジョニー大倉が
●物をやって
音楽活動ができないことが
ありました。
このときも
矢沢永吉はジョニー大倉を
待って許しました。
さらに
矢沢永吉はキャロルが
大きくなっていくので
解散を望んでいなかったと言われています。
がクスリをやって失踪して、
ステージに穴を空けた事があります。
しかしキャロルは
解散しています。
いったいなぜなのか?ということについて調べていきます。
キャロルの解散理由について。
メンバー内の
人間関係の確執
あったと言われています。
結論から言うと
あまりにビッグになってしまった矢沢永吉に対しての
ジョニー大倉の嫉妬なのかもしれません。
キャロル時代になるとビジネスが絡んできた。
曲を作る矢沢がリーダーで、そこにジョニー大倉(川崎出身の元キャロルのメンバー)のようなナンバー2がいれば反感持つのは当たり前だよ。
嫉妬と
お金が関係していたということだと思います。
ジョニー大倉と矢沢永吉の確執について。
ジョニー大倉が語っている
内容はこのようなことです。
ジョニーさんによると、矢沢さんが作詞作曲をしたキャロルの曲「涙のテディ・ボーイ」と「夏の終り」を収録しようとし、矢沢さんに許可を求めるも、矢沢さんが許可してくれなかったそうで、
とにかく矢沢さんは“キャロルは俺のもの”という意識が強い
矢沢さんが、前年の2012年、横浜・日産スタジアムで40周年記念ライブを開催した際、「キャロル」でリードギターを担当していた内海利勝さんと37年ぶりに共演を果たしたことについても、
内海くんだけは呼んで(中略)僕には声もかけやしない。そういうひどいことを平気でする
また、「キャロル」解散後、ジョニーさんは俳優に転身されているのですが、ジョニーさんが俳優として評価され始めた頃、矢沢さんから、
ジョニー、ギャラいくらもらってんだ
と、声をかけられ、
相変わらず金にうるせえオヤジなんだなって思ったね
さらには、10年前、矢沢さんの事務所が「キャロル」の肖像権や商標を管理することに自身が合意したにもかかわらず、
矢沢さんには美味しいところを全部持っていかれた悔しさがあるかな……
と、矢沢さんに対する恨み節を連ねた。
このことから
確執があると
考えられます。
このような発言から
ジョニー大倉と矢沢永吉の確執といわれていると思います。
しかしその確執も
解散して
年月が経ってから
変わったとも考えられます。
ジョニー大倉の死因とその状況について。
このようなことがわかっています。
ジョニー大倉さんの死因は「肺炎」と発表されています。ジョニー大倉さんは2013年6月に末期の肺癌と診断され余命2週間という宣告を受けますが、
一時的に奇跡的な復活を果たして2014年4月に復活ライブを行なっています。
その後は再び入院して闘病を続けましたが、それから半年後に都内の病院で亡くなりました。死因は肺癌により併発していた肺炎でした。
肺炎でなくなった
ジョニー大倉ですが
このときに
矢沢永吉が
お見舞いに花を
渡したらその花をずっとみていたそうです。
ジョニー大倉は
入院中に
キャロルのメンバーに会いたい
再結成したいと
いっていたという情報もあります。
ジョニー大倉は矢沢永吉に
嫉妬していたということですが
解散後は嫉妬心がなくなったのかもしれません。
キャロルの解散理由は
ジョニー大倉が矢沢永吉に嫉妬していたこと
と
音楽活動での金銭問題だと
僕は思います。
最後までご覧いただきまして
ありがとうございました。