日航機123便の件について安部譲二が語ったヤバイ内容について。

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今回は日航機123便についての安倍譲二の語った内容について考えていきます。真相こそわかりませんがやはりおかしいと思っているということ。

安倍譲二の話を
僕なりに解釈あるいは
分析していきます。
誰にも分からない真相を探っていきます。
最後に日航機の人間は真相を知っているみたいですが
語らないということです。
今回も様々な角度から考えていきます。

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いったいどのようなことなのか?について。

作家・安部譲二氏は日航機の客室乗務員だったという時代がある。単発エンジン小型機の操縦免許も持っている。
その安部氏は1985年、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落した事故を、事故ではなく、事件だと確信している。
安部氏は、<無残に撃墜されたのだ>と断言している。

●飛行機の事故ではないということです。

しかし安部譲二は自衛隊が
やったという説をとなえます。

もしも自衛隊の誤射であれば
飛行機が空中分解するので
僕はその可能性は
ないと思います。

自衛隊のせいにして
米軍がやったと思っています。

●こんなことはありえない。
つまり
自衛隊と米軍で意図的に隠しているとしか考えられない。

85年8月12日、羽田発大阪伊丹行きの日航機123便、ボ―イング747型機が墜落して520名という航空機単独の事故としては史上最大の被害者を出した。
飛行機事故の歴史に残る大事故である。
この事故には、当時から数多くの疑問が投げ掛けられていた。
「墜落した日の夜中に日航のスチュワ―デスをしていたおばさんから電話があってね。日航のイチニイサン(123)便が〝行方不明〟で大騒ぎになっている、って言うんだ」

「だってね、あんな大きい飛行機がいなくなっちゃったって言う。85年でしょ。その頃は日本全国、軽飛行機ですら行方不明になるなんてことはあり得なかった」

この時代には米軍のレ―ダ―サイトが張り巡らされ、自衛隊のレ―ダ―監視網も日本の全ての空域をカバ―していた。

●自衛隊を管理しているのは在日米軍です。

さらに空港の管制塔はエリアごとにすべてをフォロ―していたという。
JAL123便を示す影が管制塔のレ―ダ―から消え、機体の消息を絶った、
とされているのは18時56分。18時18分に羽田を離陸した約40分後である。
18時24分に123便は緊急事態を告げる〝スコ―ク・セブンセブン〟というサインを送っている。
このサインを送る直前、123便は操縦能力をほぼ完全に失い、関東上空を迷走したうえでのレ―ダ―からの消滅だった。

●レーダーから消えるはずがない。

消えたことにして
実は真相を隠している可能性が高い。

「行方がつかめなくなった末にどこに墜ちたかわからない、(自衛隊、米軍の防空能力が)そんなことだったら有事なんかできないでしょ」
機体の発見まで長い時間がかかったことは事実である。国民はやきもきして臨時ニュ―スを夜通し流すテレビを観続けた。
埼玉県と群馬県の県境にある御巣鷹山の山腹で123便の残骸が発見されたのは翌日の9時である。消息を絶ってから13時間が過ぎていた。
たしかにこれでは、例えば国籍不明機が侵入してきても、いったん機影を失えば半日間は発見できない可能性がある、というのに等しい。

●実は自衛隊も米軍も
分かっていたはずです。
しかし本当のことを隠していた。

すべて公開しない謎
事故そのものが不測の事態だから、思いもつかぬことが重なって混乱したということは考えられるが、航空機事故という大事にいったいこんなことがあり得るのか。
ともあれ、安部さんは事故発生のその日から深い疑問を抱く。

「その頃は、もう知っている人間は乗っていなかったけど、飛行機乗りってのは、(事故には)敏感なんですよ。
まだプロペラの時代だけど、昔『木星号』という旅客機が墜ちた。大島の三原山に墜ちたんだけど、マスコミには相模湾に墜ちたとミスリ―ドして引きつけておいて、
そのあいだに何かを回収した。ああ、またやってるなと」

●同じことをしているということですね。

木星号事件とは52年に起きた航空機の墜落事件である。
乗客乗員37名全員が死んだが、当時、空路を管理していた米軍からもたらされる情報が交錯矛盾し、疑いをもたれた。
松本清張がこの事件を題材に『52年日航機「撃墜」事件』という小説を著している。

航空機事故で、事故原因の解明にきわめて重要な役割をもつのが操縦席の会話を録音したボイスレコ―ダ―だ。後年、テレビで123便のボイスレコ―ダ―が公開された。
「聴きました。それでプライバシ―に関わることなので一部は公開しないという。あれは犯罪じゃないですか」
安部さんが言う通り、ボイスレコ―ダ―の全ては公開されていない。

「520名が亡くなった事故だよね。コクピットで何を叫んでいようと、たとえ『お前のかあちゃんと寝た』と叫んでいようとも、公開しない理由にはならないでしょ」
テレビで公開されたのはダビングしたものだが、オリジナルは他の資料といっしょにすでに廃棄処分されている。
航空事故調査委員会はこの事故をボ―イング社の修理ミスに起因するものと結論ずけたが、当時からこの結論に疑問を呈する声、真っ向から否定するものは多かった。

オリジナルは他の資料といっしょにすでに廃棄処分されている。

ということから
政府あるいは
政府以上のものが関与している
件であることが分かります。

急減圧とは、どういう事態なのか、急減圧が起きたら、機内はどうなるのか。
「僕は、急減圧を経験したことはありません。だけど急減圧に対する訓練ってのはね、乗務員が不時着水よりも時間をかけてやることなんです。
だからパイロットは急減圧があったら、それこそ急減圧のキュを聞いたら(酸素マスクが)落ちてこなくても落ちても反射的に手を伸ばすものなんです。
客室には客席分の酸素マスクのほかにバゲッジに10メ―トルごとに携帯用の酸素ボンベがあって、乗務員はとりあえず酸素を確保できるようになっているんです

事故調は急減圧があったとしたうえで、パイロットが酸素マスクを装着しなかった理由については「不明」としている。
だが安部さんによると、あの高度、メ―トルで推定6000から8000くらいで急減圧があった場合であれば酸素マスクをつけなくても操縦は可能だという。

「エベレストの高さで酸素マスクをつけずに登ったって言う、それと同じでそれほどの高々度ではない」
しかし高度にかかわらず、エンジンの出力だけを操作して困難な飛行を数十分も続けることは超人的な技能なのだ。

生存者のひとり、客室乗務員の落合由美さんの証言は、どう解釈しても急減圧はなかったことを証明している。
落合さんは急減圧を感じなかったと事故後の調査で証言している。繰り返し急減圧の訓練を受けている乗務員の彼女が、
実際にはあった急減圧をなかったと勘違いすることはあるのだろうか。
「それはあり得ない」
酸素マスクを装着していた遺体はひとつもない。
これらのことから、日航の従業員組合の組織、日航乗員組合連絡協議会は「急減圧はなかった」と結論したレポ―トを発表している。

●本当のことを隠しているということです。

だが事故調は急減圧があったと報告をまとめ、運輸省に提出し了承されている。
「事故調は急減圧はあったと言っているけど、どっちが正しいかと言うと100対0でこっち(日航乗員組合側)が正しい」

急減圧はあったかなかったかという議論に
なっているが

米軍基地からの遠隔操作の
可能性が高いと僕は思います。

修理ミスを認めた理由
事故調を支持する側の学者は、すると急減圧はなかったが、ゆるやかな減圧はあったのだとした。
しかし急減圧がなかったのなら、事故調が報告した隔壁の亀裂そのものが疑わしくなり、尾翼が急激な気圧で吹き飛んだという説が成り立たなくなるのである。
つまり事故調の報告はまったくの虚妄ということになる。

●デタラメでした。

「ボ―イングが、ずいぶん早くにまず修理ミスから圧力壁の破壊と言いだしたんだよね」
どうしてボ―イング社が、修理ミスを早々に言い始めたのか。ボ―イング社がそうする必要がどこにあったのだろうか。
「今、日本ではダグラスとかほかの社の飛行機はほとんど飛んでいないじゃないですか」
幹線を主にして、確かにボ―イング機がほとんどである。

「当時の日本の航空会社のトップはボ―イングっていう名前にアレルギ―があったんですよ。ボ―イングのB29からB17にさんざん爆撃されたからね。
聞くのもイヤな名前で、だからダグラスばかりだったんです。その隙をついて、ロッキ―ドとか売り込みにきて、ボ―イングは大苦戦だったんですよ」

戦後、日本の民間航空を再建したのは、旧陸海軍で航空に携わった者たちだった。
こうして日航、日本政府に貸しをつくったボ―イング社が、のちに日航をはじめとして日本の民間航空機の市場を制したという。

日航乗員組合連絡協議会の元日本航空のベテラン機長、藤田日出夫さんは、尾翼が壊れた原因として『新潮45』(00年8月号)で「フラッタ―説」を書いている。
フラッタ―とは、分りやすく言えば細かい震動である。航空機の場合、旗がはためくように震える現象を指し、機体の破壊につながる。
「藤田さんは、僕みたいな小説家と違って、専門家として冒険ができなかったんです。思うことはあったとしても、パイロットの立場としてはいえないことがあるんでしょう」
藤田氏は、ボ―イング機の構造的な欠陥によってフラッタ―が起こり、尾翼が破壊されたと、わずかな行数で遠慮がちに指摘している。

●僕は尾翼部分に
軍産複合体の何かしらの仕掛けがされていたと
思います。

「航空機の尾翼は、戦闘と、(衝突の)事故以外で壊れたことは、プロペラ時代も含めて、ライト兄弟以来、一回もないんですよ。
それくらい尾翼というのは堅牢な中でも堅牢なものなんです」
では安部氏が主張する事故原因、尾翼破壊の原因とはなんなのか。

それは、自衛隊の無人標的機が123便の尾翼に衝突して破壊したのだというのだ。
事故当時、新造された護衛艦「まつゆき」が相模湾で試運転中だった。その「まつゆき」艦上からテストで無人標的機が発射され、123便の尾翼に衝突した、というのである。
「ぶつけたんじゃなくて、ぶつかってしまったんでしょ。標的機はジェットエンジンで高速で飛ぶものだから、当てようとしてもなかなか当たらないものだそうです

●もしもこの自衛隊の誤射説が本当であれば
飛行機は空中分解していることになる。

飛行機が落ちた時に
50人以上生存していたということと
矛盾する。

自衛隊が誤射したように見せかけて
米軍がやったと思います。

その後のプラザ合意との
話のつじつまがあいます。

そしてそのことを
隠している。

「雫石のあとでしょ。あの時は自衛隊機が全日空機を相手に戦闘訓練を勝手にやってて、それで後ろから突込んじゃった」
雫石事故とは71年、全日空機のジェット機727型機に航空自衛隊のF86F戦闘機が衝突した事件である。
この時、自衛隊は全日空にも管制にも訓練を報せていなかった。この時、ある疑いがもたれた。自衛隊機が民間機の全日空機を敵機に
見立てて戦闘訓練をしていて誤って衝突したのではないかという疑惑である。乗客乗員162名が死亡。
この時は航空幕僚長の辞任で収まっている。運輸省管轄の航空事故調査委員会はこの事故をきっかけに誕生している。

日航機事故の当時は第二次中曽根内閣。中曽根康弘が内閣総理大臣、航空を含めた運輸行政を司る運輸大臣は山下徳夫、防衛庁長官は加藤紘一、
内閣官房長官は藤波孝生だった。もし安部説が正しいとしたら、この日航機事故の情報はどこまで上がっていて、誰が処理に関する全ての決定権を持っていたかということだ。
「それは中曽根でしょう」

自衛隊機が民間航空機を仮想の敵機として訓練することは今もあると安部氏は睨んでいる。
「僕がいたときはしょっちゅうだった。米軍機だけだよ。やんないのは。ほかの国は日本を含めて予算がないから、民間機を相手に訓練するんだよ」
無人標的機が衝突したという話を最初に聞いたのは、いつ、どういう機会だったのか。
「いつだったかな。日航の仲間からだったと思うけどね。彼らが自費で船を調達して、発見されなかった尾翼の部分を探しているって聞いた時かな。
見つからなかったけどね。もうとっくに海上自衛隊が回収したんでしょう」

●この安倍譲二の話もおかしいわけです。
おそらく123便の真相をしった
自衛隊員は分からないように
口封じされています。

安部さんは123便が山に向かって北上したことにも、疑惑を抱いている。
「機長は大阪行きなら、もし伊丹空港での着陸がなんかの事情で不能になったら、
すぐ代わりにどこに着陸するか考えるものです。123便は相模湾上空でなんだかわからないけどアネ―ブル・コントロ―ル(操縦不能)になった。

●このアネ―ブル・コントロ―ル(操縦不能)というのが
米軍による
遠隔操作の可能性があります。

あの場合、海に不時着することを考えるのが普通なんです
操縦席では尾翼が壊れていることはまったく分かっていない。
「分かっていてもいなくても、操縦不能なんだから」

●たしかに何故海に向かわなかったのか?
遠隔操作で飛行機が
いうことを
聞かなかったのではないだろうか?

123便が海に向かわないで陸地に向かった理由

「僕はね、最終的には撃墜するためだと思いますよ。
123便の操縦士は横田か福生に降りようとしていたと思うんです

福生市(ふっさし)

●このことも不可能です。

横田も福生も在日米軍基地です。

日本の飛行機は
降りられないということです。

●これは何でしょうか?

123便は海ではなく、山の方に故意に誘導されたと安部さんは主張する。では123便はいつ、どこで撃墜されたのか。
御巣鷹山近くの複数の住人が、123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言している。

例えば123便が機体を安定させようとエンジンを操作し、最大のパワ―でジェットエンジンを噴出したとして、その排気を炎と見間違えることはあるのだろうか。
エンジンからの排気、または金属の機体が折りからの夕日を反映したということも考えられはする。

検証をせずに123便に炎があったと断じることは危険である。が、そういう目撃談があることは事実である。
「自衛隊の浜松基地から2機の戦闘機(F14)が発進してるんですよ。どの時点で撃墜するためのミサイルをぶっ放したか、僕は分かりません」

●空白の13時間で証拠隠滅を図っていたという可能性大です。

NHKが故意に誤報した
自衛隊が、ダッチロ―ルで飛行している123便をなぜ撃墜する必要があったのか。
「あの機体が横田でも福生でも羽田でも、もしあのまま着陸してしまったら、内閣、吹っ飛びますよ」

安部さんはNHKが墜落地点を故意に誤報したとしている。NHKは翌日の朝まで墜落地点を長野県北相木村と報じた。

これは報道陣をはじめとした人間たちを故意に違った地点に導くためだったとしている。
御巣鷹山は群馬県上野村にある。上野村の当時の村長は黒沢丈夫氏だった。のちに御巣鷹山に慰霊施設をつくり、登山道を整備した名物村長である。
海軍兵学校を出た黒沢村長は戦争中は零戦のパイロットでミッドウェイ海戦にも出撃した勇士である。

その黒沢村長が飛行機乗りの経験者として村民の証言などから墜落地点を御巣鷹山だといちはやく推理している。
のちにある座談会で、事故対策室や日航、自衛隊が墜落地点をなかなか特定できなかったことに疑問を呈している。

●自衛隊も米軍も分かっていたということ。

●マスコミを使ってデタラメを
流せるのも日本の宗主国が関与しているからだと考えると
話のつじつまがあいます。

「(NHKを使って)積極的にミスリ―ドしたことは間違いありません。それは、無人標的機の残骸と、
最後に123便にとどめを刺したミサイルの残骸とそれに傷つけられた機体を回収するためです。シコルスキ―(自衛隊の大型ヘリコプタ―)を持っていってすぐ、
生存者よりもなによりも早くそれを回収するため行ったんです。なにかオレンジ色の大きなものを釣り上げている写真を新聞社か週刊誌は持っていたはずですよ」
オレンジ色の部品は123便にはない。無人標的機の塗装色である。

当時、日航の大株主は日本政府である。35%の株を持っていた。
「日航ってお役所でしょう。僕の経験では、日航は政府にまるで頭があがらんでしょ。だって運輸省の下部組織みたいなものだったんだから」

●ここですね。知っているということです。

「全日空にも日航にもエライさんに知っているのがいるんだけど、みな日航機事故のことをいうと黙るんだよね」
日本のマスコミは本当のことを言わないし書かない調べようともしない。

●今回の件で僕が思ったことは
123便の尾翼部分あるいは
その周辺に何かしらを仕組んでおり
そこで
二度爆発して
さらに遠隔操作で
御巣鷹山に123便を落としたということだと思います。

そして生存者を在日米軍が
証拠隠滅で殺した。

全日空にも日航の人間たちも
この真相を知っているが隠している。

亡くなった520名の方のご冥福をお祈りいたします。

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