今回は整理整頓ができないことは天才であるという仮説について考えていきます。このような話があるのはなぜなのか?ということを僕なりに調べてお伝えしていきますので最後までご覧いただければ何よりです。
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僕の部屋はそこそこ汚いです。
正直に言いますが僕の部屋はそこそこ汚いです。綺麗な部屋に住んでいるとか常に掃除しているとかということはありません。したがって僕は汚い部屋を否定するつもりもないです。僕は部屋の話をしたら汚い部屋ん住んでいるとかありえないといわれたことがありますがありえます。僕住んで生活しています。しかもその小汚い部屋でずっとYOUTUBEのネタを真剣に考えています。
部屋が汚いということはたいして大きな問題ではないと僕は思っております。ちなみにごくたまにですが僕は天才ですねと言われたりもしますが普通の中年であると自覚しています。でわなぜ僕が天才とかと言われるのか?ということがもしかしたらこの部屋のことと関係しているのではないか?ということを考えていきます。
整理整頓できないことは天才であるということかの仮説について。
一般的にですが整理整頓できない人というのはだらしない人であるということを思われます。世間では整理整頓することがいいとか高い評価を受けております。しかし整理整頓していないことが悪いのでしょうか?
自分がいいと感じている状態つまりマイワールドを持っている。
他人の物差しに左右されていないととれます。
もちろんゴミ屋敷とかといったいきすぎはおかしいとおもいます。
さらにここから本質的なことについて考えていきます。
部屋が汚い人はなぜ天才なのか?
天才という表現が適しているのかわかりませんが優秀あるいは創造的であると考えられます。一般的にはこのようなイメージではないでしょうか?
仕事がデキる人の机はだいたい綺麗で余計なものを部屋に置かない。たしかに、片付けができないと「だらしない=仕事もできない」イメージが湧く。
しかしこの話の根拠はなんでしょうか?マスコミや本がこのように言っているだけだとも考えられます。
逆に根拠があります。天才と言われている人の身の回りは整理整頓されていたということではない。
知的な人に共通すること:身の回りが散らかっている
噓じゃないか?あるいはでたらめじゃないか?と思うかもしれないので一つ例をあげます。
ミネソタ大学のキャスリーン・ヴォース教授は、散乱した部屋で活動をしていた方が、よりクリエイティブになるということを、研究で明らかにしました。整頓された部屋で考案されたメニューは、伝統的なレシピをベースとしたいわゆるトラディションだったのに対し、散乱した部屋で考案されたメニューの方は、常識を覆すような創作料理が数多く生まれたんだとか。
どのようにしてひらめくのか?ということです。話を抽象化すると部屋を汚い人いうなれば細かいことを気にしない人というのは汚いという混乱しているところから潜在的能力をだし斬新な考えを生むと考えられます。
僕はこの話あるいは解釈は本当だろうなと感じます。
さらに関連する内容について考えていきます。
机が汚い人が天才であるという理由について。
机が汚い人というのも同じ理論が考えられます。机が汚いと批判されることでアイディアがでることを阻害されます。何か考えるきっかけを失っている可能性があります。
机が汚いと批判されても関係ないはずです。そこで仕事ができて何も問題がないのなら気にすることはないと思います。
実はこの話には大きなことが考えられるのでそのことを考えていきます。
最後に大切なこと。
もしも交際相手や子供の部屋が汚くても
小言をいったり気分を損ねるのをやめでみてはいかがでしょうか?
綺麗であるとか汚いということが対立の要因になっている可能性があります。
特に結婚相手であれば最初はそのような小言を
言い合う不仲な関係になりたいと思って一緒に
いたわけではないはずですから。
何かしらこの話が役に立ち
平穏な生活ができるきっかけになれば何よりです。
ということで今回の記事はここで終わりです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。